今回は、本号のCOLONNADEが「震災復興」というテーマに関連して、構造設計者のインタビューとなりました。今回はアラン・バーデンさん、特に若手建築家と組んで数々の作品を世に送りだしています。数少ないイギリス人エンジニアが日本で活躍されているその秘密を探ってみました。
● どうして構造設計者の道に進まれましたか。
イギリスの大学ではエンジニアとしての教育を受けました。建築家とは関係ない教育です。卒業時に土木に行くか建築にいくか決めることになります。
子供のころから建設に興味がありました。そのなかで物理的な側面に興味がありました。もしかしたらイギリスには産業革命による産業遺産が多くあることの影響かもしれません。エンジニアがその時代の技術でシンボルを作り上げ、残していくことがすばらしい。たぶん、あまり空間的、デザイン、表層的なことに興味がないし、あまり才能もないから(笑)。
● いまでも興味がないですか。
どうやってかっこよくするかは重要でなく、もっと大事な問題があると思っています。エンジニアの役目は昔から変わってなく、限られた資源と時間と予算のなかで最大限の効果をあげる方法を施主に示すこと、そのなかで傑作ができればよいし、思いもよらない、予算と時間の制限を超えた建築ができれば、社会に実現力を与えているパワーとなると思います。
● 日本を職場に選らばれた理由は。
海外で仕事をしようと24歳でいろいろな国を検討しました。アメリカはあまり好きじゃない。違う言葉もおぼえられる外国がよい、ヨーロッパも検討したが近すぎる、ロシアも検討したけれども、まだ共産主義でビザの問題とかあり難しい。当時イギリスの経済が厳しくなった原因、日本製の自動車とかバイクとかカメラとかがたくさん輸入されていました。世界第二の経済力の日本、エンジニアにとっては天国の国じゃないか、日本しかないと思いました。最近は減ってしまいましたが、当時はアラップなど外国人のエンジニアが日本にはいました。
● 構造の世界は国ごとの法規などの壁が高く、エンジニアの方が入って来づらいのかと想像していました。
それはどの国でもあり、同じだと思います。基本的には物理ですから、面倒くさいことはどこでもあります。
● イギリスのエンジニアが伝統的に強い理由はなんでしょうか。
そうですね、たとえば北京の飛行場ですが、あれはフォスターとアラップですね。世界的にイギリス系の建築家、エンジニアは大変うまくいっているかもしれませんね。1970年、80年代のハイテックスタイルの世界的影響がいま生きているのかもしれません。
● 日本の建築や建築家に興味があって日本を選択されたのかと思っていました。
日本を選択した頃にはもちろん建築にも興味がありましたが、知っていたのは丹下健三さんぐらいです。黒川さんの書いたものは読んでいました。
● 丹下さんの話が出たので代表作品の代々木体育館、丹下さんと坪井さん、建築家と構造家との理想的な関係でできた名作と言われています。
ケーブル構造なので当時としては大変な細かい計算はあったでしょうが、古典的な構造です。考え方はシンプルな建築ですね。物理的に数学的におもしろいところはあります。単純な構造ですから、丹下さんは坪井さんにあまり言うことがなかったと想像します。
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Towered |
● たとえばTowered Flatsの印象的な外観を考えたのは建築家、それともアランさんですか。
ずいぶん前なのであまり覚えていませんが、ファサードがつまらなくならないように、確かにランダムにすればどうと言ったかもしれませんね。当然、全部3角形にしてしまうことが構造的には、合理的です。構造的、経済的に許される範囲で扁心させることで、遊び心がでる。物理的真実を追求していくと、つまらなくなることもあります。程度の問題ですね。
● デザインを考えられていますね。
そういった意味では考えていることになりますか、それは空間と関係ないことですから、橋でも、小さい家具でも、私は同じことを言うかもしれませんね。
● 西沢さんとの森山邸は今までの概念にない住宅を鉄板構造で実現されています。
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森山邸 |
この集合住宅にも物理的には、非合理な部分があります、構造的にはまだ薄くできるわけですが、西沢さんのデザインのなかで面の均一性が重要でした。結構反対しましたが、結果的に彼は正しかったと思います。彫刻のような抽象的なイメージが出ています。経済性や能率性を求めすぎると溶接のラインや高速道路の鉄骨のような雰囲気が出てきて、フォルムが潰されてしまったと思います。
● 鉄板構造はアランさんが提案されたのですか。
西沢さんからのリクエストです。妹島さんと佐々木さんの梅林の住宅が最初のそのような鉄板構造だと思います。
● 大学でも教えられていますが。
日本の建築学科のカリキュラムをみると、構造の授業が2次的なものが多すぎる気がしました。デザインも最初は完成した建築のトレースからはじめます。もっと自由な発想から始めた方がよいですね。イギリスの構造の教育は、当時は嫌いでしたが、すごく純粋な物理と数学を一所懸命やっていました。そのへんが日本の教育と違っていますね。
● アランさんが日本の建築家に人気があるのは、違った文化で育つたこと、違った教育を受けてこられたことにもあるんじゃないでしょうか。そこに発想の違いがある。
そうであればいいですね。いろんな文化からの人、いろいろな国の人が一緒に活躍するほうがいいですね。
● アランさんの授業スタイルはどんなものですか。
自分の設計したものを見せてこれと同じに設計しなさい、という授業です(笑)。わたしの生徒はラーメン構造はやってないので、普通の設計事務所に就職すると怒られるかもしれません。先ほど話に出た代々木体育館も授業によく使いました。
● 今まで一緒にされた建築家で印象に残る人はありますか。
作品を共に作った人、全てですね。いろいろな哲学をもった建築家と仕事ができることは、エンジニアの楽しみの一つです。
● 小さなものと大きなものを分けて考えられますか。
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真下慶治記念美術館 |
分けて考えていません。締め切りに常に追われてしまう辛さを除けば、住宅の仕事は楽しいですね。基本的な法規を守れば、建築自由となることは日本住宅の特徴です。大きなもの、たとえば記念館の大きさだと空間の性格が変わってくる、その空間の性格に合う構造形式としています。鉄もコンクリートも木も同時に使うことができる。大きな建物はそういった楽しみがあります。大きなものと小さなものがミックスしてある状態が仕事上は理想でしょうか。
● 構造計算書偽装事件の影響がありましたか。
最近、構造建築士の受験をしました。資格があると思っていたものがなくなってしまった。同じ試験場には70歳代の方もいらして、人道的に問題があるのではとも感じました。もっと景気のよい時期の法改正であれば、経済的損失も少なかった。法改正により、あまり意味のない作業が増えてしまった。本当にそれが安全性の確保になっているかどうか疑問です。そうではなくてエンジニアの教育を強化すべきだったのでないでしょうか。法改正にともなう業務増に対して設計費を上げてもらいました。それしか対応のしようがないですね。
● 日本の設計費についてはどのように思われますか。
日本の施工者は協力的で、騙そうということはあまりないですね。施工図もきちっと作成してくれる、それはヨーロッパにはないシステムです。ヨーロッパでは建築家には、施主を悪い施工会社から防衛する弁護士のような役割があります。私のイメージだと構造の設計料がヨーロッパの半分ぐらいですか、これが7から8割ぐらいでちょうど良い感じでしょうか。
● 日本にいらして20年。なにか発見はありますか、建築に限らず。
世界がどんどんヨーロッパ化するなかで、そこまで守り続けなくてもよいのではと感じることがあります。たとえば今、花火大会が毎週行われていますが、地下鉄に乗ると、必ず浴衣を着た若者がいる。ヨーロッパにはあまりないことですね。
● 日本の建築家に伝えたいことがありますか。
日本のデザイナー、エンジニアは力があると思います。日本の建築家には独特のフォルムの自由な発想があります。外国で知られる有名建築家もいますが、日本の場合はアトリエ系となって、組織を大きくしてビジネスに繋げようとしないことが残念です。ロジャースにしろ、フォ
スターにしろ世界中で仕事をしている。フォスターの事務所は1000人規模の事務所です。アメリカにもHOKやSOMなど同じような事務所があります。マーケットはドバイのように世界中にあるのですから。ゼネコンだけでなく設計事務所も世界に出て行ってほしいですね。
■インタビューを終えて
あっという間の2時間半、ここに書けなかったがたくさんあります。特に作品に込めた構造・構法の考え方をスケッチを交えて丁寧に教えていただいた時には、インタビューアー3人はたちまち仕事も忘れて聞き入ってしまった。アランさんであれば個性的な建築家のわがまま?を純粋物理で鍛えた頭脳と、このお人柄で軽やかに処理してしまうに違いない。そんなふうに思いました。これからも建築家からの仕事の依頼が絶えることはなさそうです。 |