■ 10月号に引き続くCOLONNADEの震災復興というテーマを受け、構造家のインタビューとなりました。今回は梅沢良三さん。長年第一線で活躍し、数々の名建築を生み出していらっしゃる梅沢さんに、自邸「IRONHOUSE」でお話を伺いました。IRONHOUSE(設計:椎名英三+梅沢良三)は昨年竣工し、平成20年住宅建築賞金賞受賞、雑誌掲載も多数と、すでに皆さんご存知の建物。 雨上がりの午後にお邪魔いたしました。 挨拶もそこそこに「先ずは見学を」となり、コールテン鋼の外壁を道路から見上げた後、オブジェの如き屋外階段を上って、ミカン、イチジクまで実る屋上庭園を拝見。後、屋内へ。外観の印象が内部まで続き、梅沢さんと椎名さんの美意識がそこかしこに見受けられます。見学を終えて、サンクンガーデンに面する地下のリビングに腰を下ろしました。
● まず、構造家の道に進まれたきっかけを教えてください。
一般の人たちとはちょっと違っているんですよ。中学生の時に、体育館の建設現場で鉄骨が建ち上がっているのを見て、エンジニアの道に進もうと思ったんです。「どうやって造るのか?」「その造り方は?」に興味がいき、一旦は普通高校に入学しましたが、中退して工業高校の建築科に進みました。高校での建築の勉強を、僕はエンジニアの視点で見ていましたね。そしてより深く勉強をしようと、大学へ。
● 卒業後は?
大学卒業後、木村俊彦構造設計事務所に入所。8年間勤めた後、実は1年間だけ独立をしまして(笑)、丹下事務所へ。アルジェリアのオラン大学建設のためです。「木村事務所時代に構造を担当していたオラン大学の現場監理をやってくれないか」と電車の中で頼まれて、その場で行く!と即決しました。思ったことは直ぐにやりたいタイプなんですよ。
● その当時の構造家は、どのような立場だ ったのでしょうか?
今と同じですよ。建築家と構造家は、それぞれの立場で情熱を傾け、素晴らしい建物を創りあげていた。木村事務所にいた頃に、そうそうたる建築家と一緒に仕事をしていたけれど、その緊張感は凄かったですよ。真剣勝負です。
● エンジニアではなく、全体の設計やコン トロールをする建築家も良かったかな、 などと思われたことはありませんか。
いやいや僕は逆でね。木村事務所へ入って現場に行って、建物をつくっているのはエンジニアだと思ったね。どうやってつくるのかという筋道をたてたり、検証したりするのはエンジニアだからね。 空間とか素材とかがあって人間を感動させたり、芸術の領域を建築家がつくりだしているのを知ったのは後からですね。田舎育ちで体育館を見てエンジニアになりたい!と最初に思ったくらいだからね。
● 建築設計には初期の段階から関わられますか?
建築家っていうのは、施主との話でスタートし情報を収集して、頭の中で色々考える。スケッチを始めるまでに、まず時間がかかっている。線をいっぱい引いたり模型をこねくり回してうんうん唸っているところに、私が入ったって時間の無駄なんですよ。そんな時は「考えがまとまってから、連絡を下さい」とおいてきちゃいますね。(笑)
● では、ご自身が施主でもあったIRONHOUSEの際は如何でしたか?
ここにはもともと住んでいたから、建築家よりはるかに土地や周辺環境に詳しいんですよ。30年以上前に、木造の家を建てて住み始めたんです。ある建築家に依頼したんですが、構造については「施主が構造家だから大丈夫だろう」と言われてできた。ところが、地震がきても大丈夫かな?とだんだん心配になってきた。
● ここで、当時の家が掲載された雑誌を見せていただく。
L型になっていて、南側と西側は完全にオープン。トップライトもあって気持ち良かったんだけれど、この南側と西側の構造がちょっと弱いかな。 で、IRONHOUSE。正方形に近い敷地を有効利用し気持ち良く住むのはL型だろうと。ただ、道路側に中庭をもっていくと落ち着かないと思い、 そちらには背を向けるような形になってしまった。鉄の壁で閉鎖的になってしまったので、配慮して屋上庭園、それも高さを違えて緑の段々畑のようにした。プランニングや形状については、設計者の椎名さんから提案があり、選択しながら詰めていったので、その点では一般の施主と同じだね。 ただ、構法は最初から決まっていた。数年前に建てた事務所IRONY SPACEで取り組んだ鉄のサンドイッチパネル構造。それを住宅用に改善しながら、実験し、一般解にしていきたいと考えていた。構造体としてだけでなく、内装も含めながら、充分住めるのだと証明したかった。そのためにも、住宅の要素、建具、ベランダ、庇、屋上庭園、外部階段、トップライトを取り入れ、断熱性能にも考慮した。そして、重要なのが100年以上、200年持たせる超長期住宅であること。
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● 事前に頂いた資料に「住宅シェルター論」超長期住宅がありました ので、その辺りをお聞かせください。
「構造家:梅沢は鉄」、というイメージが強いようですが、長持ちさせる材料として選んだんですよ。政府が二年ほど前に打ち出した200年住宅は、自分が言っていたこと。それが「住宅シェルター論」ですね。 日本の木造住宅は寿命が約30年と短い。これはエネルギー、環境の問題でもある。その度毎に大量のごみが出るわけでしょ。そして社会資本の充実といった点からも、財産として住宅をストックしていかなければ、人も国も豊かにはならない。経済的負担だって大きい。建築は価格ではなく価値だという基本が、社会の中で抜け落ちていると思うね。
● 構造設計は社会の中でどう位置づけられるのが望ましいとお考えで すか。
建築士法の改正も絡めてお話ください。 数日前に試験結果が出て構造設計一級建築士になりましたよ。 まあ、資格として制度化されるのは、役割が社会に認知されるという点も含め、悪いことではないと思う。構造計算偽造事件でイメージは悪いかもしれないけれど、縁の下の力持ちであった構造設計者、エンジニアが表に出てきた。結果、施主に会って直接説明する機会が増えたことは歓迎だね。悪い面として、余計な作業が増えた。これは改正が不完全だということで、運営側の柔軟性に問題があると感じている。今までは、多少の自由があったが、今は全てを升目にあてはめようとしている。これは、日本のいい伝統じゃないよね。エンジニアを尊重しなくては。まあ、運用の仕方に問題があり、これは改善されていくと思う。そのためにも努力が必要だね。
● 作品を拝見しますと、線で構成する構造から面構造へ移行されてき ている印象を受けますが。
実はね、一つなんですよ。線で造るのも、面で造るのも。僕は線ではなく面をつくりたいと考えてきた。必要なのは柱・梁ではなく、床や壁。それを支えるのが柱だったりするだけで。構造として、鉄はもともと線だったりするけれど、それで面をつくれないかとずーっと考えてきたんだよ。
● それが、自社開発されたサンドイッチ折版(パネル)構造に繋がっ たのでしょうか?
パネルは強度があれば構造体になるわけで、サンドイッチ折版。つまり、折版の両側に鉄板でなく、胴縁をはり付けて二次元の方向に強度を持たせたパネルがそうです。 天野製薬岐阜研究所(設計:黒川紀章建築都市設計事務所+リチャード・ロジャース・パートナーシップ・ジャパン)では屋根に用いた。アーチのキールにサンドイッチ折版を吊るしたことで、フラットな天井を確保し、梁などで途切れさせることのない連続した空間をつくりあげている。
● 他建物ではいかがでしょうか?
木造でも面がつくれるんだよ。例えば、無垢の角材を何本か重ねれば柱・梁そして耐震壁ができる。お互いの間に大きなリングを入れてずれないようにし、束ねればいい。接着剤を使っていないから、集成材ではなく集積材だね。そうすれば耐久性も期待できる。考えれば、まだまだ色々できる。 藤沢市湘南台文化センター市民シアタードーム(設計:長谷川逸子・建築計画工房)では、球体の外壁に鉄板を使っている。三角形のパネルを全溶接して球体面を造りあげている。 エンジニアはね、何かをすると、それをずーっと頭に留めて持っているんだよ。一つのものを造る。つまり実現できたものは、必ず他にも使えるということだね。
● 設計にあたって一番大切にされていることを教えてください
それはもうインスピレーションですね。 修行をしてきてね、最終的にそう思う。湧かない時もあるし、その方が多いかな。でも、それが湧く内は、まだまだ大丈夫と思うし、自分を凄く勇気づけるよね。
● 今後に向けて抱負をお聞かせください。
200年住宅が一つのテーマ。社会的には木造の長期住宅が望まれているし、そちらの方が主流になっていくと思う。
■インタビューを終えて 以降もお話は尽きず。IRONHOUSE第2号は?とお聞きすると、「200年住宅を望む施主の方には是非。サンドイッチ折版の両側が鉄である必要はないから、内側は合板にするとか。いっそ板がなくてもいい。断熱材を吹付けるとか……」と幾らでも湧き出すアイディア。 長年、第一線で活躍されてきて、それでも衰えないヴァイタリティ。「インスピレーションが湧く内は、やり続けますよ」と言われたその顔には、少年のたくらんだ笑みと目の輝きがありました。
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