■今年度のアカデミー賞を受賞された『おくりびと』の脚本家である小山薫堂さんは日光金谷ホテルのプロデュースやイエラボというサイトをアップされ建築に関してとても造詣の深い方であります。様々なフィールドで活躍されている小山さんに興味深いお話をお聞かせ戴きました。
――この度は、アカデミー賞受賞おめでとうございます。
小山さんが建築について思っていること感じていらっしゃることなどをお聞かせ下さい。
建築については今の仕事についていなければ、建築家になりたかったなあと思っていました。不思議と建築家の方とは縁がありまして、そもそも高祖父が建築をやっていました。日本で最初の西洋建築です。グラバー邸と大浦天主堂などです。設計、施工をやっていた会社なのでこの建築家協会には入れませんね。タイムスリップしても昔なのでこの会には入れないのでしょうけど(笑)。
小学校4年生の時に東大の建築の方が見えて家の蔵を見せてくれということでした。それを見たら、製図道具や設計図が出てきたんです。図面はグラバー邸か大浦天主堂かのどちらかだったと思います。NHKと東大の先生が来ました。そのNHKの番組をみた小学校の先生が「あれは君のご先祖様ですか?」と、聞かれた記憶がありまして、それがきっかけで建築に何となく漠然と興味を持ち初めました。高校の時は文系を選択していたので建築は理系だから自分にはない職業だなあと思い、建築とは無縁の仕事についたんですね。でも建物にはとても興味を持っていて、大学を卒業した頃に父親が所有している土地に家を建てる話があって、「建築家に頼んだ方がいいよ」と僕が勧めて、青山のブックセンターへ行って日本建築士年鑑のような厚い本を見つけました。でもそれは高くて買えないものですから、立ち読みで一番良さそうな所を探したんです。その中で目に留まったのがシーラカンスの建物でした。電話番号を暗記して走ってそのまま公衆電話に行き、「すみません。家を建ててもらうにはどうしたら良いでしょうか」と聞いたら「取りあえず話しを聞きます。」というので、僕が当時24か5歳でした。渋谷と代官山の中間あたりのマンションでしたけど、そこの事務所へ訪ねて行って「熊本ですけど家を建ててもらえる?」と聞いたら親身に話を聞いてくれました。その時に事務所の中にかっこいい模型が飾られていて、聞いたらもうすぐ竣工するマンションで現場は江古田ということでした。僕は大学が江古田にあったので馴染みがある場所です。「このマンションに入りたいんですけど」と聞いたら、その敷地のオーナーがシーラカンスの代表の堀場さんの知り合いでこれから募集する予定になっていると聞いて、「じゃあ僕入りたいんですけど、建築家としてどの部屋がおすすめですか?」と聞いたら、この3Bの部屋がいいというので、「じゃあ3Bを予約します」という話になって、そこに住むことになったんですね。結局父親は家を建てませんでしたが、それからシーラカンスの人と御縁が出来て、『新建築』の取材でその部屋の写真を撮られたりして。3 ミ 4年住んでいましたでしょうか。工藤和美さんが奥様で建築デザイン会議をやっているのでそのパネリストになってくれないかと頼まれまして、25歳の何の関係もない僕が九州の熊本であったその会議にパネリストとして出たんですよ。1994年だったと思います。北山恒さんも参加してらして、国広ジョージさんがその時のコーディネーターでした。それから今なお工藤さんとは共通の友人がいたりして、たまに交流させていただいています。それで意外と建築家の方は身近に感じていたりするんですね。素敵な仕事だな、大変な仕事だなと思うんですよ。あれだけ時間かけて付き合って、特に個人住宅は割に合わないだろうなあと思いながら。でも個人住宅の仕事って幸せじゃあないかなあと思ったりして、楽しいそうだなあって。
――様々なフィールドで活躍されている小山さんの発想の原点は、どんなところから生み出されるものでしょうか。
企画というのはサービスだと思っています。いかに相手から何かを求められたときに相手を喜ばせることが出来るか。建築も同じですよね。「こういう暮らしをしたいんですけど何かないですか」と言われた時に、それに対して建築家がアイデアを提案して相手が考えつかなかったものを見せられたときに「わあ、素敵」と言ってくれる。そんな時になんとも言えない幸福感がありますよね。 おいしいものを食べた時に感じる幸せ、好きな人に告白して恋が実ったらしあわせだなあと思うのと同じように、素敵なアイデアを思いついた時のなんともいえない幸福感がたまらなく好きでそれを味わいたくて考えてるという感じですね。だから「考えるコツは?」ってよく聞かれるんですけどあまりないんですよね。
――発想の原点は誕生日のプレゼントをつくるように考えると本に書かれていましたが……。
そうですね。子どもの頃から人の誕生日をどうやってお祝いしようか、知恵をしぼるのが大好きでした。何をあげたら喜んでくれるだろうかというのを一所懸命考えた。それが今、アイデアを想像することの原点になっています。 また、リセットして考えることを大事にしています。常識にとらわれないというか別の視点を持つ。映画の手法はこうではなくてはならないとかホテルだからこうあらねばならないみたいな事ではなく、こういうものがあったら人はドキッとするんじゃないかとか消費者側に立ってアイデアを考えます。僕だったらこういう家がいいなあとかそんなことはよく考えますね。
――リセットする時はどんな時ですか?
銭湯によく行きます。人って裸になった時に皆同じになれますよね。あの無名感というかああいうのが好きなんですよね。温かいお風呂に入った時に、はあーという体の中から出るため息というか、幸せだなあという気になるじゃないですか。どんなお金持ちでもこの幸せに気づかないよりは気づいている自分の方がかっこいいなあとか、銭湯に行くことによって自分の原点に戻る。僕は「幸せの閾値」と呼んでいるんですが、最も小さな幸せを感じることができる装置、それが銭湯なんですね。たとえばそこで学生時代のことを思い出して、今映画の企画に行き詰まっているとしても、学生時代から考えれば映画の企画を書かせてもらえている自分はなんて幸せなんだろうって。今悩んでいるのはなんて幸せな悩みなんだろうと思えるんですね。そういう意味での原点回帰の装置として銭湯は存在していますね。
――アイデアが浮かんでくる時はどんな時でしょうか?
普通でいられることの幸せってよく考えます。普通でいられて書くことも読むことも考えることも出来るんだから、これを生かさなくてはバチが当たるぞという気になってきて。そうすると何か浮かんできますね。
――『おくりびと』のシーンの中で畳の上での納棺の儀式が美しく印象的でした。現在日本の住まいから畳が使われなくなる、畳屋さんに代表される日本の伝統的職能が受け継がれていかなくなる現状がありますが、どのようにお感じになられますか。
畳の文化はすばらしいと思います。 伝統で同じことを繰り返すことも大切だと思うんですが、一方時代に合わせた努力も必要です。 守って行く努力だけでは生き残れないと思うんです。変える必要はないんですが、今の時代に合わせ工夫する努力をしないと必然的に打ち出されていくのだなあと思います。例えば畳職人さんは自分の作品が現場でどのように使われているのかピンとこないと思うので、そこで建築家がもっとこういう使い方をしたらいいのではないかとアドバイスしていく。僕が月に一度は行くお寿司屋さんは畳がテーブルになっています。例えばこういう使い方もあると建築家が提案していけば、畳屋さんは発想の刺激を得るかもしれません。畳協会が建築家と協力してアイデアを生み出していける関係になれるといいのではないでしょうか。
――建築家に設計を頼むことは敷居が高いと言われています。どのようにお感じになられますか。
ある著名な建築家と仕事をした時に、建築家のハードルを自ら上げているように感じたことがありましたね。 建築家というと気難しくて頼んでも言うことを聞かない、自分の作品を作り続けてしまうような。だから本当は建築家という名前と決別してもいいような気がします。ライフアーキテクトのような、もっとコンシエルジュ的な名前があるだけでも敷居は低くなるのではないでしょうか。
――小山さんが建築家であったならどんな建築を作られたいと思われますか。
施主によると思うんですよね。何が趣味かどういう暮らし方にもよると思うので、すぐには言えませんが、見た目よりも使って気持ちの良いものってありますよね。例えば洗面所の高さ、僕は身長が高いのでいつも低いと思うんですね.でも常識的にはこの高さと言われる。とてもささいなことですが、扉がきれいに開閉できる、カーテンがどこかに引っ掛らないというようなそういうところに気使いがある、使い勝手がいいもの。使うたびに「わぁ、いいなぁ」と思うものを作ってあげたいと自分がもし建築家であったならそう思いますね。引き渡しの時がスタートで使うたびにあの建築家に頼んで良かったと気持ちが増していくような。 建築雑誌にも問題があると思うんですね。家具も人も何もない状態でそれが良い建築という評価に繋がる、そこがいつも違うなと思っています。 去年ある建築コンペの審査員をしました。真っ白なかっこいい美容院が選ばれました。 建築家の審査員の中で素人は僕一人でしたが、大反対しました。 美容院はかっこいいかもしれないけど、使い勝手や汚れとかどうするんですかと。 公開コンペでしたので、その場に建築家本人がいて、確かに汚れることは分かっているが、だからこそスタッフが愛着を持って使ってくれると答えました。 僕の母親が美容院を経営していましたので、そこに働く若手は店を閉じた後深夜12時まで研修をしたりする。そんな彼らがあなたの作品を守るためにさらにきれいにする。僕だったらこんなのは採用しないと発言しました。 住み手に苦労を掛ける建築っていいのかなあと疑問です。 25歳の時にデザイン建築会議でアイデアプランのような作品を出してくれと言われたことがあります。一人では開かない扉を出したかったんです。親子三人で協力して開ける扉っておもしろいと思うんです。デザインだけではなく家が与えるチャンス、家族のきずなを高める、そんなメッセージのある建築って良いですね。建築にはそういう不便さはあってもいいんだと思います。 ある時、企画構想学科(東北芸術工科大学)の学生が建築学科に転科したいと相談に来ました。僕は引き止めないけれど、とりあえず2年間企画の勉強をしてそれからスキルを学んだ方が役に立つと思うよ。すぐにスキルから入るよりもきっと今必要とされていることはそこに足りないものだから、先に企画構想学科で学んだらとアドバイスしました。今まだ彼女は同じ学科で学んでいます。
――企画構想学科の学生に望むことは?
本当は名前をオレンジ学科にしたかったんです。世の中を元気にするビタミンになるような人材を輩出したいと。大学に申し出たら大学側は良いと言ってくれたんですけど、文部科学省の認可が下りなくて、オレンジの栽培を教えるわけじゃあないでしょうと(笑)。 別にここを出たからといって、プロデューサーになるとかではなくて、自分が何かになるきっかけを掴めればいいんじゃあないかと思うんですね。 家を継ぐことも素敵なんだと思ってくれてもいいし、建築家になってもいいし、入学してくるとどこかの会社に就職したいではなくて、地元を元気にしたいという子が多いんですね。そういう意味で面白い道に進む子が多いのではと思います。
――建築家や協会への提言をお願い致します。
建築家は人生コンシエルジュだと思うんですよ。こんなに個人の生活に入り込んで仕事をしていく職種ってないと思うんですよ。弁護士もそうですが、建築家ほどではない。建築家は夫婦喧嘩を目の辺りにしたり、家族関係がよく分かる。ライフコンサルタントとしてのセンスを磨く必要があると思います。 最近フランスの絵本を翻訳したのですが、その本は一人の男の子がお兄ちゃんと呼ばれる日をまってる、運命がつながる日をまってる、人生における様々なまっているを描いた一人の男の子の人生と成長が書かれています この本を訳した後に「まってるカフェ」というプロジェクトを考えました。おじいちゃんおばあちゃんが自分の家の一角をカフェにする。ウェブ上で様々な「まってるカフェ」があって、例えばポテトサラダが美味しいカフェ、みかん農家であれば絞りたてのみかんジュースを作ってもらえるとかミシュランのようないろんな「まってるカフェ」のデータがあって、そこを旅していくだけで暖かな気持ちになれる旅ができる。建築家協会が提案して広めていければ素敵だなあと思うんですよね。国から予算が出て、建築家協会が提案してご老人たちの新しい未来が出来る。子供が巣立って使われなくなった部屋や空家を利用して地域の活性化、おじいちゃんおばあちゃんとのコミュニケーションの場となると素敵ですよね。
建築家というと上から目線のような響きなので、例えば医師というと硬いのですが、近所のお医者さんのような身近な存在になれると良いのではないでしょうか。赤ひげ先生のような。雨漏りがしたらすぐ相談が出来て、それならあの業者さんをと教えてもらえるような、そんな地域の身近な存在であってほしいと思います。
東北芸術工科大学企画構想学科屋外授業 |
オレンジスイート[Chiba Takanori] |
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