■舞踊家兼演出・振付家として世界的に活躍されている中村恩恵(メグミ)氏にお話を伺いました。 舞踊、建築ともに文化、芸術であり、総合プロデュース。建築が‘物’づくりなら、舞踊は‘事’づくりと、実は通じるところが多い分野。“創作”“空間”をキーワードに、様々探ってみました。
――まず、舞踊の道に進まれたきっかけを教えてください
イタリアに住んでいた幼少時、TV天気予報のバックで不思議に踊っている人がいるのを見て、凄く印象に残ったんです。5歳で日本に戻ってクラシックバレエを習い始めました。その後、18歳でローザンヌ国際バレエコンクールに出場してプロフェッショナル賞を受賞し、フランスのバレエ団に入団。初めてプロになり、初めての一人暮らし。また言葉にも戸惑い大変だったのだけれど、あまりに全てが初めてだったので、「全部、違う」と思ってどうにかなりました……。(笑)
その後、足の故障もあり一時帰国。再びヨーロッパに戻って、カンヌのバレエ学校、モナコのバレエ団などを経て、オランダのネザーランドダンスシアター(NDT)に入団しました。
――NDTに行こうと思われたきっかけは
NDTで演出・振付をされていたイリ・キリアン氏の作品を観て「私がしたいのはこれだ!」と思ったからです。男女がお互いを交互に旋回しながら舞台を斜めに動いていくのに、今までにない感覚、次元を感じました。NDTには9年間在籍しました。
――1990年代のその頃、建築では脱構築主義がムーブになっていました。イリ・キリアン氏も含め、舞踊でも脱構築の流れがあったんですよね。
そこで学んだのは、積み上げてきた伝統、文化をただ壊すのではなく、熟知した上で違う角度から光を当ててみることです。否定されてきた価値観に光をあて、新しい価値をあたえる。隠されてきた人間の脆さ、醜さを違う見せ方にすると、胸を打つものになるんです。
――作品づくりで一番大切にされていることは
色んなことが頭にあって……。
創りたい!と感じるのは、個人的な衝動で、そのパワーの根源も個人に帰属するものだと思うんです。創作していく段階で、他人に通じるような普遍的なものに置き換えるとか、あるいは、普遍的なテーマ、愛とか死を個人の言葉で語っていく、その二つをしなくちゃいけない。すべて一人でしていくと難しいのだけれど、ダンサー、衣装、音楽、照明の人達とコラボレーションしていく中で、言葉がきたえられ、見えてくるんです。
一番難しいと感じるのは、“これは私にとってとても大切”という気持ちが強すぎて、割愛できずに、作品全体がぼけてしまうこと。
――建築も同じことが言えるんですよ。多分、舞踊以上に普遍的で客観的なもので、個人的な思いや志向だけでは駄目。
イリ・キリアンさんに、「誰もが感じる人類の共通テーマを問い続けなくてはいけない」と教えられました。探り続けること、問い続けることをしなくちゃいけない。コミュニケーション、言葉は重要だなと考えます。
――作品ごとのテーマはどのように決められますか。また、そのつくり方は
テーマって、どうやって生まれてくるんでしょうね? それって不思議。すごく小さな何か、例えばある詩の部分が引っ掛かってきて、そうすると、それに繋がることがどんどん引っ掛かってくる。そんな感じで、方向性が決まっていき、人が絡み、事が絡み、作品になっていきます。
つくり方については、誰とつくるか、誰のためにつくるかなど、状況に応じてスムーズにいくよう配慮することもあり、毎回違います。また、スムーズにいくだけでは良くなくて、チャレンジが必要。皆がぶつかって壁を乗り越えるのも必要で、そういう過程も設けるようにしています。
――舞台で興味あることは
舞台装置のために付随している機構、道具を見せることに興味があります。
動きについても、綺麗な結果だけでなく、背景、過程を見せたりとかします。最終までできていないからこの先どうなっていくのか?っていう予感、想像も大切にしたい。何か生まれる儚い瞬間を、客席とシェアしたいなって思いますね。
――‘産みの苦しみ’はいかがですか
今、‘産みの苦しみ’の真っ最中です。(笑)
ひとつひとつの動き、ジェスチャー、時間の流れに意味があり、それを表現したいのだけれど、なかなかうまくいかない。いらない動きが入ってしまったりして、近づきたいところと、現実とのギャップを、どうやって埋めたらいいのかわからないものも多くある。じゃあ読めるからと経験値でつくると、そちらを多くの方が評価されたりするんですが、それって自分の中では後退現象。チャレンジで新しく創っていくと、3作品後くらいにはその経験値になったります。
――少し話しを変えて、好きな空間とか場所はありますか
いつも動く前に‘基点’をつくります。
身体がリラックスして、無駄な力を使わず、内側の力を感じられる立った姿勢。その時に想像するのが広がりある空間。何もなくて、彼方までつながって、自分の底を覗き込める、足から根っこが生えて地球の中心まで、その先の星までつながる空間。そんな空間が実際にはあると思わないけれど、好きです。
とは別に、ロッテルダムのクンストハル(設計:レム・コールハース)は、様々な空間、ルートがあって、色々と想起させてくれました。
――その空間ですが、中村さんが捉えられているそれと、建築でいうそれとは観点が違うのでしょうか
“空間”っていう概念は何でしょう?
舞台空間に影響を受けます。大きい箱で踊るとき、小さい箱でのとき、一人でのときなど、それぞれに相応しいジェスチャーがあり、それを敏感に感じ取らなくちゃいけない。大きな箱の中にいるけれど掌の中のことを喋ることもできるし、逆に小さいところにいるけれど宇宙を語ることもできる。実際とイマジネーションの空間をコントロールしていくんです。
――非常に興味深いお話ですね。建築家は空間を創りだすのですが、客観的に存在するものとして捉えています。舞踊では、能動的に創りだし動きで変えていくものなのでしょうか。
ダンサーは建築家が創った空間の中に入っていって、空間とは逆のある意図をやって活かさせてみるといったアプローチをとったりもするんです。ひねくれているんですよ。(笑)
空間を感知する能力はあると思います。
――印象深い建築はありますか? そしてもしも建築家だったら、どんな建築を創りたいと思われますか
パリ・オペラ座(ガルニエ宮)で踊った時は、とても印象に残っています。ホールの中央に力が集約して、1点に落ちてくる感じを受けました。日本でしたら、これからですが、3月に渋谷の能楽堂で能役者の方と共演するのを楽しみにしています。
建築家だったら……。機能を超えて人の感性に触れられる建築を創りたいです。人の動きに合わせて動く建物とかあったら面白いですよね。
――最後に、今後への抱負を
社会が実際の身体から離れていっていると思うんです。
現代において、身体を帯びている大切さ、身体を通してしかできないことを提示していきたいなと思います。
写真:塚田洋一 |
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