■東海林さんが照明デザイナーを目指されたきっかけ、どのような少年時代・学生時代をすごされたのか、ご紹介いただいてよろしいですか。
小学校6年ぐらいの時、親が地元(福島)の建築家に頼んで住宅を新築しました。家が出来上がることは子供にとっても楽しい経験でした。色々な案が出てきて、それを見ながら自分なりに間取り図を作ったりしていました。当然自分の案より建築家の方が圧倒的にすばらしく、感動したことを覚えています。建築は面白いなと。一方、電子工作にも興味がありました。たしか『ラジオの製作』という雑誌があって、小学生には難しい雑誌なのですが、図解入り部分は良くわかって、ラグ板という下地材に半導体をハンダ付けで出来るラジオや雨音警報機などを作ったりするのが好きでした。子供の頃はそうした二つの世界に遊んでいた感じですかね。
中学生から高校生の頃になると友人の影響もあって文学・本の世界に魅かれていきました。結局それを統合するのは建築じゃないかと、それで建築家を目指すようになりました。
大学は工学院大学ですが、実は東京都立大学の土木工学科にも入ったんです。都立大で建築学科への転入も考えていたこともあって昼間は工学院大学、夜は都立大学に通っていました。ほんとに良く勉強していましたね。専門課程に進むと両立が難しくなってきて工学院大学の方に集中していきました。アルバイトなどをしながら建築の世界をのぞいてみると、自分の想像していた建築の世界と、リアルな建築の世界が違っていることが分かってきて、このままで自分がイメージするような建築家になれるのだろうかと疑問に思うようになりました。
大学では伊藤ていじ先生に学びました。専門が日本の建築史で歴史を教えるのだけれど、建築家になるための素養とか構えとか意気込みを、挑発するように学生に話をするんですね。磯崎新さんなどの例を挙げながら『建築家なるには家柄がよいことが条件である。よって親がサラリーマンの君たちは建築家になれない。』とか、またある時、『そんな君たちにも、ひとつだけ建築家になる方法はある、奥さんが良家のお嬢さんなら建築家になれる。大学出たての若造に、失敗するかもしれない何千万のお金を出してくれる、クライアントを親戚にもっているかどうかだ。』とか・・・真剣にお嬢さんをと考えたこともありましたが・・・。
またそのうちに、先生に『人がやっていない新しいことをやれば一番になれる。』と言われて、そんな視点を持って進路を探すようになりました。新しい分野であるランドスケープデザインなどに目が向いたりもしました。
そのころ、1981年に新宿に日建設計のNSビルができて、それが「建築照明」という魅力的なタイトルで、雑誌SDの特集号として出版され、『これだ!』と当時はわくわくして読んでいました。IMペイやフィリップ・ジョンソン等のスーパースターの照明デザイナーだったクロード・エンゲルを知ることとなります。
それで大学院を経て、TLヤマギワ研究所に就職しました。建築家への夢も捨てていなかったので、10年ぐらい照明の技量を身につけてから、建築家になってもよいなどと考えていましたから、ある意味不純な動機で照明デザイナーを目指したことになるかもしれません。
照明器具のプロダクトデザインをしたいのではなくて、やりたいことは、光のデザイン、「建築照明」であって、建築家と同じ空間づくりができそうなところに魅かれていました。
ただ、日本では照明デザイナーは、バブルの後ぐらいから認められるようになってきましたが、その当時、就職した1984年頃には、職能はまだ確立されていない状況でした。
■TLヤマギワ研究所に入られて、照明の道へ、それから面出薫さんのところで多くの建築家と仕事をされていますね。
就職後はほんとに良いポジションで恵まれた仕事をたくさんすることができました。TLヤマギワ研究所で6年半、設立に参加したLPAに10年間在籍しました。それから独立して10年ですね。TLヤマギワ研究所時代は当時の日本の建築界のなかでも面白い仕事に参画できました。内井昭蔵さんの世田谷美術館、槇文彦さんの青山スパイラル、名取の文化会館、富山の一連の作品などを担当させてもらいました。
なんといっても伊東豊雄さんですね。JALプラザなどのインテリアだけの仕事、横浜の風の塔などの初期の作品から、仙台メデアテークまで担当しました。その後LPA退社後も、まつもと市民芸術館、トッズ表参道、ミキモト銀座2等、色々仕事をしました。、現在も台北等継続させてもらっています。
伊東さんとの仕事は、壁はどうあるべきか、テクスチャーはどうか、さらにボリュームはどうか、ということまでも相談をうける。照明のプロとして気配のありかたを提案する。表層的なことを超えて根本的なところから参加できた。やっと建築家になりたかった自分にも誇れる仕事ができるようになりました。伊東さんとはいつもそうですが、あまり指示をされないので、自分が「イタコ」のような存在になって、こんなのどうでしょうと提案をします。(笑)
昨年完成した杉並の座・高円寺ではランダムで様々な大きさの円形の光で床にパターンを作りました。建築空間の特徴を光のデザインに落し込むことができたのだと思います。今年のアメリカの国際照明デザイナー協会(IALD)の特別賞をいただくことになりました。受賞理由が「建築の光と影との奇妙で美しい関係」です。
面出さんからはいろいろ学びました。伊藤ていじ先生の次に最も影響を受けた人ですね。教えられたのは具体的なデザイナーとしての技法ではなくて、照明デザイナーが世の中に組み込まれるシナリオが最も重要であるということです。良いものを作るだけ感動的な光を創るだけでは、社会的な価値がない。美しいだけでは弱い、かっこよいだけではだめ。この光にどれだけの意味があるのか、必然性があるのか、価値があるのかを伝えなくてはだめだと。単なるアーティストではなく、コンセプトをもってどれだけ社会に利益をもたらすことができるのかを常に伝えるように訓練を受けました。
そこが、それ以前の照明デザイナーとは明らかに違うところです。それまでは『この照明きれいでしょ』としか言ってないかもしれません。 現在、LPAはシンガポールにも事務所があって世界最大の照明デザイン事務所です。巨匠ですよね。いろんなことを面出さんから盗み取るには10年かかったのかなと。(笑)
座・高円寺
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座・高円寺 |
■住宅の照明について提案されています。
以前から住宅の照明をどうにかしたいと思っていました。ポール・マランツから、「日本の公共空間の照明はよくなった。しかし住宅がひどい。」 と言われたことで、より意識するようになりまた。ホームページのトップに住宅の照明を置いているのもそのためです。
2007年に出版した『デリシャスライティング(TOTO出版)』も住宅照明について書きました。どうやったら自分の考えをわかりやすく伝えられるか考えた時、食べ物の世界に例えれば良いとひらめきました。食糧が不足している状況ではお腹いっぱい食べることが目的。その時期を過ぎて、満たされてくると、美味しいものを求めはじめ、グルメが生まれ食文化となる。まだ住宅の照明は、お腹いっぱいの食べたい段階、それが現状の白くてたっぷりな照明の価値観なのではないか。そうではなくて、光もグルメ、おいしい光の段階にしていかないといけない。それを料理本のスタイルで書きました。まず完成写真があって、材料があって、手順があって出来上がる、40のレシピを書いています。巻末にはメーカー名、器具と品番があって、購入してもらえば、そのまま簡単に写真の照明空間が出来るようになっています。
今まで住宅雑誌などでは照明特集が2年に1回程度出版されていますが、結局、照明器具の特集になっていて、光のことは書いてない、それが不満でしたね。人に受け入れられるためには、生活のシーンの中でリアリティのある提案をしなくてはならないと。いままでの雑誌の照明の話は新築時のためだけであった気がします。この本では今住んでいる家で始めてもらえる提案をしています。たとえば、「光のシャワー」のレシピでは、LEDの懐中電灯に吸盤をつけて、シャワーからこの位置に設置してくださいと書いています。するとこの写真のような光の空間になる。ほんとに結構楽しめますよ。また、男性に人気があったのは「ハードボイルドな光」、居場所のない男、おやじが金曜日の夜にこっそり楽しむ空間の提案です。(実演してもらいました。)ぜひ試してみてください。楽しくやってもらわないと住宅の照明は変わっていかないと思います。
1960年頃、蛍光灯が我が家にやって来た時は衝撃的でよく覚えています。明るさをもたらしたことは、素晴らしいことで、家電製品がどんどん家庭に広がったように蛍光灯も高度成長の象徴だった。日本は、貧粗な世界から劇的に変わったその時の経験が根強く残っていることが、白くてたっぷりな照明が最高、という意識をなかなか変えられなかった一因かもしれません。
■建築界や建築家がこんな風になったら良いと思ってらっしゃることはありますか。
光の立場にいると、空間のなかに流れる『時間』を常に考えることになります。光は自由なので、点けたり消したりする。ゆっくり点けたり消したり。そのことで初めて人間の心が動いたり、心に訴えかけたりすることになる。明るいとか暗いとかだけでなく、どのぐらいの時間で変化するかがとても大事です。『時間』が建築デザインの大きなテーマになってくると、何かが変ってくるのでは思っています。日本語の中に1日の時(トキ)を表した 暮、宵、さらに真夜「マヨ」という江戸時代の言葉がありますが、時間軸の中で空間を決めていくことが重要になってくる。一日の中での時間、一年の中での時間、そして一生の中での時間ですね。人生90年とすると28億秒しかない。人間の持っている有限の時間をどう生きていくかと考え、意識すると焦ってきますよね。今が貴重な人生をすり減らしているとすれば、価値ある時間をどのように過ごすべきなのか。「時間」を考えていくと、ただ便利なものよりも、手を掛けながら時間とともに変化していく事象を慈しむことに豊かさがあると思います。白熱電球もそのひとつで「あ、切れた」とそこにいつも灯る光の存在を意識する時も大切ではないでしょうか。
日本の歴史から考えると、高度成長期からの日本の住宅が、蛍光灯で均一に明るくなっている状況が異常なので、ポール・マランツに言わせれば早く気付け、ということになります。かつての日本が持っていた光に対する豊かな文化と感性は、今でも私たちのDNAの中にしっかりと刻まれているのですから・・・。
ハードボイルドな光
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「デリシャスライティング」にサインをいただいて、 インタビューアー全員購入、これ建築家の必読書ですよ。 |
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