JIA Bulletin 2011年1月号/F O R U M 覗いて見ました「他人の流儀」 | |||||
芦原太郎氏に 「建築家と継承について」を聞く |
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芦原太郎氏 インタビュー風景 聞き手:Bulletin編集委員 |
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はじめに、どういうきっかけで建築家をめざすこととなったのでしょうか。
すでにおわかりだと思いますが、まず父が建築家でした。それと、子供の頃に自宅の増改築を十何回もやったのですが、住みながら工事をしているわけです。家というものは買ってくるものではなくて、大工さんなどの専門家にお願いして造ってもらっていて、それを目の当たりにして「すごいなぁ」と子供心に思ったのです。そして父親が家に帰ってくると、つらい話ではなく楽しく前向きな仕事の話をするのです。休みの日には、駒沢公園のオリンピック体育館の現場に連れて行ってもらい、その場で働いている父親の姿を見たり、要は建築家という職業を、前向きな話に受け止めるようになったわけです。皆で造り上げていって本物ができる迫力や楽しさを知るという作戦に乗ったのだと思います。(笑)
仕事を始めて、そして独立された時期についてお話し頂けないでしょうか。
卒業後、父親の事務所に入りプロになる為の修業時代となります。階段やトイレの設計に5年、一人前には10年かかるぞ、という事務所でした。そうして実務を習い、担当もさせてもらい8年を過ごしたのです。これである程度はやれると思い、独立をしました。作戦もあてもなく、ただ自分でやりたいとの思いでした。父親の事務所は、父親の名前で責任を持って仕事をしていて、そこにクライアントが頼みにくる。僕が違ったことをしたいと思っても、それを侵すわけにはいかないわけです。自分のしたいことに対して依頼をしてくれるクライアントに、自分で責任を持って仕事をした方がいいと思い、独立をしたのです。
ご自身の設計手法で「ワークショップ」がキーワードになると思いますが、改めてワークショップの意義、必要性をお聞かせ頂けますか。
独立当初は住宅が多かったのですが、徐々に公共やディベロッパーの仕事が増えてきました。ただ、公共やディベロッパーの仕事をすると、不思議な気がしたのです。住宅などは、クライアントがいて設計者がいて、相談して良い家を造ろうとするわけですが、公共の仕事などは行政の担当官などが利用する市民の声を聞かずに決めていて、それで良いのかと。そして市長などとの話で、最後はやっぱり市民参加だろうとなったのです。そこで「私は学生の時に、ローレンス・ハルプリンのワークショップを勉強したのですが、民主主義に基づく市民参加のワークショップ形式で公園などを作っているのです。」と言ったところ、試しにやってみようと特命で仕事を受けました。こうして白石第二小学校のときに北山恒氏と一緒に設計をして、これが初めて、市民の為の市民と共に建築を造る建築家になれたと思う瞬間でした。最近は、ワークショップで公共建築を造るのは当たり前ですが、本格的に始めたのは僕らが初めてではないでしょうか。
あまり形態や造形を前面に建築を語ることは少なかったと思われますが、デザインについてお聞かせ頂けないでしょうか。
お話しするのはなかなか難しいですね。それは自分のテイストということですが、良い素材でシンプルな落ち着きのある空間をつくるということでしょうか。奇をてらうのではなくて、永く安心でいられる心地よい空間、極めてオーソドックスで上質な空間を求めています。うちの事務所内での設計は、先生が素晴らしいスケッチをして、それを所員が必死になって実現化するという巨匠スタイルではありません。所員の皆がどんどん意見を出して議論する、それの連続です。これもワークショップと言えますね。良いものは良いという、最適解を出したいわけです。これが私達のデザインや設計の進め方です。
JIA等の建築団体のみならず、建築家、設計事務所としての社会的に意義のある存続、そしてその為の継承について、A-ARCHITECTS.NETの取組みなどを交えてお聞かせ頂けないでしょうか。
設計事務所についてですが、始める時はいろいろ良く考えているのですが、どう終わるのか、ということについては、皆さんあまり考えていない。AIAでは、そういうレクチャーもあるのですが。建築家は責任を持って設計はしているが、廃業などした場合、その後に残されたクライアントや社会の側はどうしたら良いのか、という話です。ゼネコンや組織事務所などは大丈夫でしょうが、一般の事務所はどうなの?という社会の目があると思うのです。事務所の継承なり継続なり責任ですよね、それを考えたのです。そうしてA-ARCHITECTS.NETを作りました。父親の事務所とニューヨークの従兄の事務所と私の事務所でコアメンバーをつくり、海外で仕事をした仲間の事務所にはインターナショナルメンバーで参加してもらい、事務所のOBなどにはネットワークメンバーとなってもらい、ネットワークを組んでいます。昔の父親の事務所で設計をした建物のメンテナンスを、以前の所員のネットワークメンバーに行ってもらいお世話するということもできます。また、アーカイブスで資料を残しておき、ネットワークで責任も未来へ継承するということを始めたのです。学生に向けたトラベルスカラシップも創設し、若いメンバーとしてネットワークにも参加してもらい、またネットワークメンバーには専用ウェブページがあり、仕事やコンペなどの情報も共有や協働もできるのです。スター建築家や組織事務所だけではなく、一般の設計事務所も力を合わせていけば、世界にも広がるのです。
インタビュー直前、ご自身で運転をしている車から降りて、颯爽とした身のこなしでこちらに向かってこられました。とにかく明るく前向きで饒舌な芦原会長でした。会長である前に、一人の建築家としても精力的に活躍されて、かつ将来における継承についても真摯に取り組まれている姿勢に刺激を受けました。JIAに留まらず、建築家においても“ネットワーク”がキーワードであると再認識しました。「会長として一人の建築家として、それぞれで頑張っていますが、実は繋がっていると思っているのです。」と仰っていました。それぞれの役割・立場を踏襲しながら、実はクロスオーバーしている建築家芦原太郎氏を改めて拝察させて頂くことができました。 〈聞き手:池元真克・近藤弘文・湯浅剛・三上紀子〉
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■芦原太郎 氏(JIA会長) プロフィール
●主な受賞 |
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