■美容師になるまでとアメリカへ行かれたきっかけを聞かせて下さい。
22歳まで生まれ育った福岡にいました。元々はオートレーサーになりたかったのですが高校時代に怪我をしてしまい、それはあきらめました。卒業後は地元福岡市の美容室で働いていましたが、いつの頃からか世界へ飛び出していきたいとの思いがありました。
次のステップは東京ではなく海外で、世界を見渡すとその当時はアメリカでした。ですので、イギリスでもヨーロッパの他の国でもかまいませんでした。
アメリカに渡り初めて勤めたのは、ニュージャージー州のサロン(美容室)です。4年が過ぎ、1日に20名くらいカットするトップスタイリストになり、そこを独立して自分のサロンを持つ機会が巡ってきました。けれども、このままこの土地で一生過ごすのかと考えると、それで良いのかと思い、もっと新しいこと、もっと上に向かってやりたい気持ちがいっぱいでした。
ちょうどジョン・サハグ氏がニューヨークでサロンをオープンする事を知り、そこに思い切って飛び込んでいきました。彼はそれまで自分のサロンを持たずに、雑誌やコレクション中心に活動していましたので、ここで初めて雑誌で見ていたジョンの「ドライカット」に出会いました。
HAIR-EIJI
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HAIR-EIJI(30歳頃の作品)
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■ドライカットの技術はどの様に覚えたのですか。
ジョンは全く教えてくれませんでしたので、見て覚えるしかありませんでした。側にいて間近でカットを見て、髪をさわり覚えました。
そうしている内にサロンの同僚スタッフに教えるようになっていました。それはジョンが教えないのもありましたが、サロンのみんなが早くその技術を取得できればとの思いからです。
なぜ自分が覚えることができたのか考えると、日本人だからだと思います。技術は教えられるものではなく見て盗むものと言われています。その気質があったからこそ、周りより早く覚えることができたのでしょう。
IBS New York 技術セミナー
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■ NYドライカットと他のカットとの違いを教えてください。
簡単に説明すると、ハサミで髪をカットする技術は、大きく分けると濡らした状態で切る「ウエットカット」と、乾いた状態の髪を切っていく「ドライカット」になります。
ドライカット(ここではNYドライカット)では、乾かした髪を一切削がずに、すべての髪を活かしてヘアースタイルをつくっていきます。仕上がりのイメージにむかって、1本1本を積み重ねていくように繊細なカットで、立体的なシルエットと質感・動きを形にしていきます。硬く多い髪にやわらかな質感を出したり、細い髪に自然なボリューム感を出したり、クセを活かしたり・抑えたり、髪の条件によらず、様々な表現を作りだすことができます。
■建築はじっくりと施主と話をしながら進めますが、カットの場合、会って直ぐにはじまります。その短い時間でベストのイメージをするのですか。
これは多くの美容師に言えることですが、髪が生きている事を実感していません。それに気付くと髪の毛や地肌を介して、なにかその人の感じや思いまで分かってきます。それでもたまに、やっぱり相手のことが分からない時もあります。怖い人や何も話さない人もいて、その中でも何かを引き出したいのです。それを一瞬の合間に見つけ、引きだしていかなければいけないのが難しいところです。
上手くいかなかったら、髪は伸びるのでまた直せばいいかもしれませんが、それはやはり過程の中でイメージすることを、何か自信が無いまましているのだと思います。なので、無難なスタイルや今流行りのスタイルにして、本当に相手を見て自分のイメージで作りあげられない。そうすると、やはり達成感に欠けてしまい楽しくなくなります。もしイメージ通りにできなかったとしても、どうしてあの様になったのだろうと思い、常にもっとよくできないかを考えることが大切です。その事が大きな差となっていきます。
ちなみに僕は最初のカットイメージを途中で変えることはありません。NYドライカットは下の方からカットを初めます。それは全体のイメージを作り上げるための下地になります。なので、それをベースにして上のカットを変えることはできません。建物でも基礎は大切と聞いていますが、それと同じことだと思います。
NYドライカット講習会
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■日本やアメリカで講習会をされていますね。
日本での講習会はもう20年くらい続けています。初めは仙台と東京の開催でしたが、今は全国でしています。帰国は年2回、滞在は2週間と決めていますので、その中で各地をまわっています。
最近はそれぞれの地域で講習を受けたメンバーが中心になって研究会を開き、しっかりと勉強しています。毎週の定休日や仕事後に集まり、夜遅くまでカットの練習をしています。その中でキーとなって指導する人が育ってきて、日本の美容師へ教えるようになっています。
ニューヨークのサロンでは、毎週水曜日にサロン内の勉強会をします。そこではスタッフ一人一人にカットのアドバイスをしていきます。月一回は外部のサロンも含めての勉強会を開いていて、ここにはNYだけでなく全米から集まってきます。
日本、アメリカ、どちらの美容師も本当によく勉強し、技術を磨こうと一生懸命です。直接アドバイスできる時間や回数は違いますが、技術の差はありませんよ。
■$400のカット料はどの様な設定なのですか。
今の美容業界では、どうしたらお客さんが来るかということに対しては、カット代が上げられないので、まず値引きをすることを考える。美容師は接客とか体面上の自分を磨くことに興味をもっているので、技術ではなくなっています。そして一番の問題は長年の経験者と若手のスタイリストのカット料金が変わらないことです。定型のスタイルでカットしていると、そこには経験による差がありません。それで何か個性を出そうと考えるけど、頭の中で考えているだけで、技術を通して考えようとはしていない。
技術を磨き、毎日自分の力を引き出し、もっとよくならないかと頑張って、それで自分がイメージしたものがハッキリとできれば嬉しいでしょう。それを知っていると自分自身の豊かさが違うような気がするし、結果としてお客さんを増やすことに繋がります。
NYのサロンでのカットは1日7人で、一人に1時間から1時間半かけて、朝9時から夜8時頃までしています。NYの日本人経営のサロンでは50〜60ドルが一般的ですが、僕は400ドルです。NYの人たちは貪欲で、欲しいものは自分の手に入れようとします。忙しくなっての値上げに対しても、僕のカットが自分の価値観に合って納得できれば、それでも予約を入れてきます。料金が高くなるほど、期待やプレッシャーが大きくなります。毎回一人一人に対して、結果をだして納得してもらわなければダメです。
■最後に、幾つまで現役でできるとお考えですか。
ずっと続けていたいですね。今よりもっともっと上手くなりたい、それが一番の思いです。自分がイメージしたものを本当にしっかりと、それもできる限りの技術でつくりたいです。
技術的にもまだまだやりたいことが沢山あります。髪をさわったらできあがるみたいな、それくらい極めてみたいです。それがとても大変ですけどね、技術だけでなく感覚も大切です。
僕はピカソみたいなものだと常々思っています。アメリカではピカソ展がよく開催されていて、間近に見る機会が沢山あります。最初は変な絵のピカソばかり見ているのですが(それしか知らないと言うこともあるのですが)、色々なところで作品を見ていると、初期の頃の絵も見るようになっていきます。そうすると、だんだん絵が崩れてそれでこういう風になったのかと変化の過程が見えて、それがすごく楽しい。どうしてその様になるかはピカソしか分からないと思いますが、そこに何かあるような気がします。
あの感覚こそ僕が育てたい感覚ではないかと思います。自分の中で探してそこにたどり着いたみたいな。ただ僕は絵を描くわけではないので表現は違ってきますが、それをスタイルやカットによって引き出していくという、そういうのをやってみたいです。
ヘアースタイルとヘアーカットは別で、スタイルはNew York Collectionや雑誌の撮影で鍛えられ、カットは日々の中でお客さんを通して鍛えられます。どちらも感覚を鍛えなければなりません。それは生死をさまようくらい難しくて悩みますが、そこを鍛えたいです。
New York Collection取材風景
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■EIJI(山根英治 やまねえいじ)氏プロフィール
1959年 福岡県生まれ
増江美稚子氏の美容室を経て、22歳で渡米
1981年〜サム・カペル氏のサロンに務めトップスタイリストになる
1986年〜ジョン・サハグ氏の「JOHN SAHAG WORKSHOP」へ
3ヶ月でスタイリストとしてデビュー、その後はジョンの
片腕としてスタッフ教育からマネージメントまで関わる
1995年〜マンハッタンにサロン「EIJI」オープン
2005年〜独立10年を機にサロン移転(フロア面積3倍の150坪)
現在は、New York Collectionの他、IBS New Yorkでのセミナー、EIJIサロンで毎月開催する講習会(全米より参加)、そして年2回日本全国での講習会開催等、次の世代への教育にも力を入れている。
http://www.eiji-newyork.com/ http://www.works-nydc.com/
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