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建築ガイド


東方文化研究所と人文科学研究所

 中国本国には唐時代の建築はほとんど残っておらず「本物を見たかったら日本の奈良へ行け」と言われているそうだ。今修復中の唐招提寺もその一つだが、それを模した‘鵄尾‘を抱いた大屋根をもつ建築が、文京区地下鉄茗荷谷駅に近くの閑静な地に建っている。旧東方文化学院、後に雅子妃殿下も学んだ外務省研修所として使われ、この4月から拓大の校舎として使われている「日本趣味建築」といわれる鉄筋コンクリート造の建築だ。
 僕がこの建築をはじめて見たのは3年前、当時まだ建っているにもかかわらず区議会で跡地利用が検討されることに危機感をもった、ある区会議員からの声によって保存運動が起こり、これを見学し感銘を受けた僕達建築家も関わって紆余曲折の末残すことができたが、その過程で様々なことを学んだ。





旧東方文化学院外観
 一つはこの建築が今から約100年前の1900年、清国に於いて列国の侵略に対して秘密結社の起こした義和団事件の賠償金で建てられた、いわば負の遺産とも言えるものだが、中国研究のメッカとして、結果として日中間の友好に多大な貢献をしたこと。
もう一つはこの建築と同じく賠償金で建てられた双子、それも形も考え方も違う二卵双生児とも言える建築が、京都の京大人文科学研究所として現存していることである。
さて文京区のこの研究所だが、ここで研究をした、後に東洋文化研究所の所長をされた窪先生によると、入り口に立つと、「よし今日もやるぞ;」と力が湧いてくる建築で、研究室に閉じこもり一日中誰にも会わず研究に没頭したこと。その話を聞いていた、この建築を聞きなれない「日本趣味建築」と言った日大の建築史家大川三雄さんが、うらやましいな;;と言った途端、窪先生が「いやあ戦後賠償金が入らなくなって資金難になり、歩く音で研究が邪魔されないように敷いた絨毯まで売って研究費に当てたんですよ」と述べられ、思わず僕達はしんみりしてしまった。

 


 さて一方の京都は;;

 旅に出ると面白いことが起こる。大体建築家の旅は建築ツアーになって女房や娘に嫌われるが、
この度は建築家同士の旅、あちこち見て歩くうちに、ヴオーリズの駒井邸で旧知の作家森まゆみさんに出会うというハプニングが起きた。誘い合って京大人文科学研究所に行く。
この建築は中国研究をやるためにもかかわらず、なぜか絶対東洋風にはしないと決めて、中庭のある、要はパティオのあるスパニッシュ様式で建てられた。ということは研究者は中庭を通って研究室に出入りする。つまり研究者同士のコミュニケーションが大切だと考えたのだろう。
東大と京大の校風の違いかなあ;と苦笑されたのは、東方文化学院の研究者で、京都とも交流のあった松丸先生。

建築にはこういう物語が在るから面白く、僕は建築を旅することがやめられない。
ちなみに東京の設計は内田祥三、京都は武田五一と東畑謙三である。
実は上海に同じく賠償金により内田祥三の設計によって自然科学研究所が建てられているので、正確には三つ子の建築といっていいのかもしれない。




(兼松紘一郎記)