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建築ガイド
建築保存物語
まち:建築と人そして風土

写真と文 兼松紘一郎

はじめに

長い年月、建築の保存問題に関わってきたが、ふと「建築の顔」という一言が浮かんできた。人の顔には人の来しかた(面映ゆくて言いにくいが、つまり人生が)が宿ると言われるが、建築にも様々な形で関わってきた人の面影が宿っているという事になる。 僕が文中で使いたくなるこういうコトバもある。「建築は都市の記憶装置」。建築家の想いや力量、そして関わった多くの関係者の思惑の集積である建築は、そこで生活し、仕事をし、一杯飲む人の記憶に留まり、己の居場所を確認する装置、ある日突然足場が架かって建築の姿が消えると、さて何が建っていたのかとわからなくなって愕然とすることが時折おこる。 一方、さて都市の記憶装置? 都市ではなく、「まち、むら(村)」ではないのかとも考える。故(ゆえ)在って60年も前になる小学生時代を過ごした天草の下田という過疎の村(現在は何と熊本県天草市になった)を思うときに、学んだ木造の小学校はとっくに解体されていたものの、昨年学校自体が廃校になってしまった。僕が住んでいた家も無くなっている。とはいえ下田に住んでいる同級生に会いたくて下田に行くと、僕の家の在った場所に向かって勝手に足が動き出してしまうのも事実だ。そこに風土という概念が、ことに「モダニズムと風土」という、建築を語るときの終生のテーマがずしりと僕の中に集積されるのだ。

この写真とエッセイによる「建築保存物語」は、新建築家技術者集団(新建)の機関誌「建築とまちづくり」の表紙裏に連載しているもので、JIAのこのHPへの転載を認めてもらったものである。連載を始める契機になった新建の担当者との交流も、一緒に保存に取り組んだ賜物であることを書き添えておきたい。

1955年(高校生時代母校下田小を訪ねる。同級生と西島先生)まだ校舎があった。 下田小3年生、最前列右端が兼松氏
下田小3年生、最前列右端が兼松氏
廃校になった母校下田北小の碑
1955年(高校生時代母校下田小を訪ねる。
同級生と西島先生)まだ校舎があった。
廃校になった母校下田北小の碑

新建築家技術者集団<「建築とまちづくり」連載記事>