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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(4) 東京都復興記念館(1931年)

写真と文 兼松紘一郎

記憶を樹々の中に

1997年だった。3月の金曜日の深夜、前野まさる東京藝術大学教授から自宅に電話が入った。火曜日から都議会が始まるので、月曜日に「東京都復興記念館」についての保存要望書をJIAから出してほしいというものだ。「復興記念館?」聞いたこともなく無論見たこともない。帝冠様式?1950年代から60年にかけて大学で建築を学び、いわばモダニズム建築の落とし子である僕は首をひねる。建っているのは綱網町公園だという。メールがまだ不確かな時代、FAXで資料を送ってもらった。翌朝、保存問題委員会副委員長だった僕は委員長に電話で相談した。そしてその足で両国国技館の裏手にある公園を訪ねた。伊藤忠太の設計した不思議な形態の慰霊堂が目に入る。参道の右手に2階建ての帝冠併合と言われる建築が建っていた。伊藤忠太と佐野利器による復興記念館だ。慰霊堂は関東大震災で亡くなった人の霊を弔うために、この建築はその遺品を展示するために建てられたのだ。74年前に襲われた災害の記憶を二つの建築が留めている。

ところで東京はもう一つの大きな被災を体験している。東京大空襲だ。その記録を留める施設がなく、沢山の都民からの要請を受けて都は復興記念館を取り壊して震災と空襲のための祈念館を合築する計画をした。前野教授は歴史学者や市民と共に保存活動をしたが思うように行かず、思い余って僕に電話をしたという。委員には電話で了解を得、JIAの捺印をもらって1日遅れの3月11日青島幸男都知事に保存要望書を提出した。

4月5日、東京都生活文化局からJIAに合築の説明に来た。公園の樹木も市民の寄付によるもので、それを伐採して祈念館はつくれないという。では技術を駆使して記念館を残したまま地階に前庭を取る空襲祈念館を増設するのはどうかと一人の委員が提言をした。4月から委員長になった僕は、都の担当参事に残す意義を書いた私信(JIAの捺印を得た)を渡し、設計者選定委員にも同趣旨の手紙を送った。その後地下案によるプロポーザル要綱が公表されたが、祈念館地下案に市民が納得せずこの計画は流れた。その後空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑がつくられ、復興記念館は何事もなく樹々のなかにひっそりと建ち続けている。

慰霊堂
慰霊堂
復興記念館外観
復興記念館外観
復興記念館外観ディテール
復興記念館外観ディテール
復古記念館正面
復古記念館正面

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