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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(8) 明治大学記念館

写真と文 兼松紘一郎

母校を築いたシンボルを失う

 母校明治大学の後輩、在校生や若い職員は、東京御茶ノ水の駿河台キャンパスに、記念館が建っていたことを知らないかもしれない。「白雲なびく駿河台・・」と唄われる校歌のある明大の象徴だった建築だ。東大に安田講堂があり、早稲田に大隈講堂があるように、明大には記念館があった。この建築は東京文京区目白台に「和敬塾」を建てた大森茂の設計による。

 解体の決定は1993年になされていた。駿河台キャンパスの再開発計画により、強度不足・老朽化のためにこの記念館を壊して高層棟リバティタワーを建てるとされたが、僕はJIAの保存問題委員会の委員だった後輩と相談し、JIAに所属する建築学科のOB六十数名にその是非を問う質問状を出した。建築学科は後に生田に移転したが、青春時代を駿河台で過ごしたOB・OGの大半から「残せるものなら残したい」との回答が寄せられた。その意を得て建築学科卒業生有志として1995年、理事長、総長宛に保存要望書を提出した。

 ところで僕は、明大の建築と不動産に携わるOBによる組織の設立に関わり、その会は大学を支える校友会に加盟する。十数年を経たこの年、3代目の代表に推挙された。ところが先輩として僕を支え可愛がってくれたあるゼネコンの役員から「母校に弓引く奴は許せん」と詰問される羽目になった。幹事会で僕の真向かいに陣取り、代表就任に異を唱え1時間半に渡る会議中睨み続けられた。僕は辞退表明をしたが他のメンバーがそれを許さず、困った前会長は渋る後輩をもう一人の候補としてたてたが、結局僕が代表を担うことになった。先輩は会社を説いて大学の再開発事業に寄付をさせると共に、工事の一角を狙っていたのだ。その先輩は早世されたが、ある時、一緒にリバティタワーを見上げながら「君の言っていたことが正しかったよ!」としみじみと述懐されたことを懐かしく思い出す。

 高校時代、文学部の部長だった僕は故あって建築に進み、明大建築学科を築いた堀口捨巳教授が設計した駿河台の回廊のある白亜の校舎で堀口先生の授業を受けた。建築が面白くなり、スケッチブックを持ち歩いてル・コルビュジエ風の落書き!をしたものだ。母校の隆盛は嬉しいが、堀口の校舎群もほとんどが解体され、こういう経緯があったため、代表作「旧図書館」にも保存の意思表明ができなかったのが心残りである。(文中敬称略)

明大記念館
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