建築家onlineは、日本建築家協会関東甲信越支部が一般の方々向け に建築や建築家についての情報をお届けするサイトです。


WWW を検索 サイト内検索
建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(12)都城市民会館(1966年宮崎都城市)

写真と文 兼松紘一郎

時代とまち・建築・人

 都城という地名を聞き、日向の国、島津藩とゆかりのある歴史の篭った雅な城下町を想い起こした。ところがこの小都市は第二次大戦で空爆を受け民家の連なったまちの大半が消滅した。建築家菊竹清訓はそこに新時代を見据えた主体構造の存続と可変を組み込むメタポリズム(新陳代謝)の思潮による「都城市民会館」を建てた。戦後21年を経た1966年だった。

 2004年市は新施設をつくり、傷んだというこの会館の解体を決議する。都城ではこの会館を愛する市民を中心とした保存を願う幾つかの組織が活動を始め、JIA九州やDOCOMOMOから保存要望書が出された。その中で「南九州の文化と建築を考える会」を立ち上げた建築家平川靖三から電話を貰った。2007年の7月に「都城市民会館厄払い」と銘打った建築展を市立美術館で開催する。金はないが「シンポジウムをやりたいので来てもらえないか」。ちょっと!と僕がためらったのは、父方の実家のある長崎での法事と小学生時代を過ごした天草(熊本県)行きと重なるからだ。それでは車で天草まで迎えに行くという。そこまで言われては!と安いチケットを探して日時を少しずらしてもらい、2006年度にこの建築を120選として選定したDOCOMOMOの選定通知書と選定プレートを持って、真夏の南国・宮崎空港に降り立った。道中岩窟のある「鵜戸神宮」に案内してもらい、この地の風土に思いを馳せて都城へ向う。建築展会場の床には大きな日本地図を描きその上にDOCOMOMO選定建築を箱にして積み上げていた。東京や大阪という大都市の建築群が盛り上がっている中に、都城市民会館が小さく建っていて、この地に市民会館の存在する意味を問いかけている。

 福岡から駆けつけたDOCOMOMOメンバーの田島正陽や平川と市役所に行き、副市長にDOCOMOMO120選に選定した通知書と選定プレートを贈呈した。副市長はありがたく受け取るが解体の方針は変えないと集った記者に答える。僕が基調講演をし進行役を担ったシンポジウムは盛会だったが、市は解体業者を入札で決めた。ところが直後の10月29日、南九州大学が大学の一部を都城に移設するのに併せてこの会館借用を市長に要請、壊していいのかと悩んでいた(と僕は思う)市長は市議会の了解を待たずに即日受け入れを表明。都城市民会館は7年を経た現在、なんとか建ち続けている。時は経たが僕の中に平川と、共に活動をした市民白水真由美の名がこびりついている。

建築展
建築展
都城市民会館外観
都城市民会館外観
祭りの日に
祭りの日に
道路から見る入口
道路から見る入口
ホール
ホール

新建築家技術者集団「建築とまちづくり」連載記事