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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(13)誠之堂(1916年)清風亭(1930年)
東京世田谷から深谷市に移築

写真と文 兼松紘一郎

ことの始まり・間一髪の移築保存

 ことの始まりは1997年、清水建設技術研究所の松波秀子からの電話だった。東京世田谷区瀬田の聖マリア学園校内にある誠之堂と清風亭を見てくれという。JIA保存問題委員会の委員長になったばかりの僕は、何も分からないままともかく出かけた。誠之堂には既に解体のための足場が掛かっていた。学園の新校舎構築のためだという。三々五々集ってきた後に親しくなる歴史研究者達の、小さなこの二つの建築を夢中になって見入る姿に好奇心が刺激される。ここでの出会いが翌年建築学会歴史意匠委員会に招かれて、学会とJIAの建築保存活動の報告と意見交換をすることになり、以来幾多の建築の情報を取り交わし活動を共にすることになっていく。

 誠之堂は第一銀行を創設した渋沢栄一の喜寿を記念するとともに、清水組(現清水建設)を育てた恩義に報いるために清水組の技師長田辺淳吉が設計したレンガ造建築。鉄筋コンクリート造の清風亭は頭取をつとめた佐々木勇之助の古希を祝し第一銀行技師西村好時の設計による建築である。

 まず建築史家28名による保存要望書が、JIAからは斉藤孝彦関東甲信越支部長と僕との連名で、建築学会からも所有者第一勧業銀行杉田力之頭取に出された。その直後世田谷区の文化財保護審議委員だった稲葉和也東海大学教授が、渋沢栄一の生地埼玉県深谷市に移転引取りの打診をする。

 僕の手元にはこの件に関する膨大な資料と共に、2001年の2月に深谷市で行ったJIA保存問題埼玉大会での「誠之堂・清風亭を考える」と題した座談会の記録がある。メンバーは深谷市の`誠之堂・清風亭移築委員会`委員長の鈴木博之東大教授、深谷市教育次長の逸見稔、そして煉瓦造建築移築のためトレーラで運べる大きさでの解体・大ばらしを社内で取りまとめた松波秀子、進行役の僕の肩書は誠之堂・清風亭移築委員である。読み返してみて17年前の逸見の一言に僕の心が騒いだ。「今回の事業は行政策では考えられない政策です。市町村の事業は予算編成という手続きを踏んで実施しますし議会の対応もあります。市長と見に行き、結論に何日もらえるかと聞いたら3日だというんですね(笑)。市長決断の後、鈴木先生にご無理をお願いして議員も参加する「誠之堂・清風亭移築委員会」を設置しました」。僕は鈴木委員長からの要請により世田谷での配置に添ったスケッチをし、剛腕鈴木はそれに基づいて敷地を10メートルほど広げさせた。誠之堂は国の重要文化財、清風亭は県の指定文化財となって深谷市の建築文化を率いている。その鈴木も委員だった藤谷陽悦もいない。(文中敬称略)

竣工間際の清風亭
竣工間際の清風亭
誠之堂大ばらし中
誠之堂大ばらし中
誠之堂工事中外観
誠之堂工事中外観
運動場からの誠之堂と清風亭
運動場からの誠之堂と清風亭
工事中の誠之堂と清風亭
工事中の誠之堂と清風亭

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