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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(18)
日向別邸(1936年静岡熱海市)

写真と文 兼松紘一郎

ブルーノ・タウトの世界と日本

 熱海湾を望む急傾斜の別荘地に、実業家日向利兵衛の別宅だった木造2階建ての住宅が建っている。設計したのは東京国立博物館などを手掛けた渡辺仁。その庭下の地階にドイツの建築家ブルーノ・タウトが離れをつくった。タウトは勤労者のためのジードルンク(集合住宅)建設に力を注いだが、ナチ支配下のドイツでは、大衆の便を図るものは社会主義者とみなされ、身の危険を感じてシベリヤ鉄道経由で来日、翌日建築家上野伊三郎などに案内されて桂離宮を見学し日本文化に魅かれる。1933年(昭和8年)の5月だった。そして高崎(群馬県)に居を構え、日本の建築界を触発させるこの建築をつくるのだ。

 日向別邸に関わることになったのは大川三雄日大教授からの電話だった。そして終生忘れ得ない二人と出会う。所有する企業の担当者小野口豊と東京の女性である。大川は毎年学生を連れて研修見学をしてきたが、今年は断られた。気になるのでそのわけを調べて欲しい。16年も前になる1908年だった。現地へ赴き小野口と昵懇となる。この企業は、感性豊かな色彩を駆使してつくられた地下室を迎賓館として扱い、細い竹で組んだ階段の手すりも当時のまま。大切に使ってくれる買い手を捜していた。この建築に魅せられた僕は見学会の許可を得、DOCOMOMOの代表鈴木博之東大教授と相談、鈴木は院生を引き連れて参加。これを機に東京理科大山名講師(当時)が実測調査に入った。

 一方歴史ある建築の好きな東京の女性は、友人5人と熱海の建築見学を企画して日向邸の存在を知る。そして熱海市に引き取って欲しいと寄付を申し出るが断られ、小野口を介して僕と出会う。鈴木と打ち合わせ、この建築の価値と存続する意義を記載したDOCOMOMOからの文書を作成、寄付を申し出た奇特な女性と共に市に赴くと、なんと市長を始め十数名の市の要職の方々が一堂に会していた。その翌日受諾表明を貰った。鈴木と相談してこの建築を維持し改修を検討する市の所轄する委員会「旧日向別邸等研究委員会」を構築、重要文化財にして現在がある。

 高崎では実業家井上房一郎がタウトを受け入れ、実務では逓信省気鋭の建築家吉田鉄郎がサポート。タウトは数多くの著作を著したがつくる場が得られず、3年目に日本を離れてイスタンブールに自宅をつくりアンカラ大学の設計や技術者養成に尽力するものの2年後に死去。熱海市の委員会は継続しているが、時の流れを想う昨今である。<文中敬称略>

洋間の上段
洋間の上段
日向邸社交室
日向邸社交室
熱海湾と太平洋を望む
熱海湾と太平洋を望む
外観と庭
外観と庭
竹の手すり
竹の手すり
和室の上段から
和室の上段から

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