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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(19)
東京駅(1914年東京都)

写真と文 兼松紘一郎

人の縁・市民と共に

 作家三浦朱門、女優高峰三枝子を筆頭代表とし、事務局長に川添智則、黛敏郎や村松英子など様々な分野の有識者を代表とした「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」(略称東京駅の会)が360人の発起人によって発足したのは1987年(昭和62年)だった。国鉄民営化と共に、丸の内再開発構想が改めて取りざたされ始め、東京駅を解体・高層化される危惧が生じたからだ。その10年前に保存要望書を提出した建築学会はシンポを繰り返す。

 東京駅の前などで、通りがかりの人に署名を呼びかけてスタートした東京駅の会には、建築学会の歴史研究者も参画、全国から10万人を超える署名を集め、東京駅保存の請願書を持って国会に提出、主要メンバーが議員会館に議員を訪ねて保存の要請をし、バレンタインデーには駅長にチョコレートをプレゼントするなど、女性ならではの活動を積み重ねる。改めて考えると、署名数をはじめ市民を中心としたこの保存活動は前代未聞、プレスも取り上げ、辰野金吾の設計したこの建築に日本人は魅かれるのだと、モダニズム建築人間の僕のどこかで蠢くものがある。建築とは何だ!

 その僕は!丹下健三が会長になって改組した(現)日本建築家協会(JIA)に入会したのは東京駅の会が請願書を出した5年後。しかしJIAは敷居が高く、工学院大学富士吉田セミナーハウスで一泊してテニスを楽しむテニス同好会に参加するだけだった。ところが毎回夜を徹した建築談義で建築家の不思議な面白さに魅せられ、僕も建築家としての役割を担うことになる。そして母校東葛飾高校が解体されたことが引き金になり、後に委員長となるJIAの保存問題委員になったのは「東京駅の会」発足の10年後の1997年だった。川添智則(当時東海大学教授)が初代の委員長で「東京駅の会」の存在を知り、前野まさる東京藝大教授や多児貞子をはじめとした東京駅の会に出会うなど、JIAを超えて数多くの建築の保存に取り組むことになった。

 東京駅が復原され、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会25年」と題した記念誌を発行してこの会は閉じる。途中参加とは言え、JIAの委員として数回の見学会をやって屋根裏など案内し、戦災で爆破され戦後に改修された東京駅の姿に魅力を感じていた僕が、前野、村松、多児と共にいつの間にか記念誌の編集を担当することになり、一文を寄稿、コラムも数編書き表紙の写真も撮った。デザインは編集のプロとなった故川添智則の次女川添尚子が担った。人の縁とは不思議なものだ。(文中敬称略)

2002年2月撮影の丸の内側の外観
2002年2月撮影の丸の内側の外観
丸の内側の外観
丸の内側の外観
2003年1月撮影、東京駅、中央郵便局、丸ビル
2003年1月撮影、東京駅、中央郵便局、丸ビル
オーダー
オーダー
東京駅エントランスホールの柱と天井
東京駅エントランスホールの柱と天井

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