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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(24)
大浦小学校(1916年新潟県)と會津八一記念館(1975年新潟市)

写真と文 兼松紘一郎

新潟文化を築いた二つの建築の去就 

 町村合併によって三条市になった新潟県南蒲原郡下田村(しただむら)に建っていた木造2階建ての村立「大浦小学校」と、新潟市内の海岸に近い砂地に建ちその去就が気になる市立「會津八一記念館」の保存問題を考えながら、幾つかの郷愁に満ちた共通項(課題)があるような気がしてきた。

 大正5年(1916年)に建てられたこの大浦小学校は、84年を経た2000年に解体された。その直前、JIAの保存問題委員会の委員長だった僕に声を掛けたのは美術評論家の大倉宏。新潟を代表する文化人會津八一の作品を展示してきた會津八一記念館が市長から解体表明がなされ、危機感を持って昨2014年僕に相談を持ちかけたのも大倉である。そしてこの二つの建築について大倉を介してエッセイ的な保存活用の論考を記載してくれたのは新潟日報だった。

 この下田小学校のことの発端は校舎ではなくて創建時に植樹され大樹となった銀杏の樹の保存である。木造校舎を取壊してコンクリート(RC)による新校舎を建てる。(思うとため息の出る僕の母校熊本県天草の下田(しもだ)北小学校とそっくりな)文部省建て替え基準に沿い、80年間村民と共に生きてきた母校に村民もプレスも見向きもせず、銀杏の保存が話題になっていた。知人に誘われて現地に赴いた大倉は、校舎に掲示されていた誇らしげな村人や棟梁の並ぶ上棟式や開校式の写真を見て村の誇りとなっていたこの校舎の存在が気になる。

 大倉に請われて僕は、新発田の出身で委員の構造家松嶋晢奘に声をかけて役場に出向き村長と面談した。ところが誰に頼まれたのだ!と一喝される。
村長選が間近で対立候補がよこしたと勘違いされたのだ。

 松嶋は校舎の構造材をチェック、基礎の束立て免震的な工法も考察し通風も良く安全宣言をした。僕の卒業した天草下田の学校は廃校となりスクールバスで隣町の学校に通う。少子化である。でも僕には同じく町村合併で天草市となった天草町下田は今でも誇らしき我が村だ。
あの小学校があればと夢に見るが!

 さて「會津八一記念館」。長谷川洋一という新潟の建築家の外壁を漆喰色にした瀟洒なRC造のモダニズム建築である。大倉からの声で昨年新潟に赴き、記念館近くの砂丘館で存続に向けての講演、満席の会場の方々と意見を交わした。

 その一月後市の主催による見学会にも出かけた。市は解体宣言を取り消さないが市民の声に耳を傾けた議会の意向に従って、著名な建築歴史学者に評価を依頼。しかしその学者は(名を伏す)隈なく建築を見たものの、そこに宿る建築家長谷川洋一と會津八一にも触れず、全国レベルにあるが残す価値はないと断定する。氏は建築を単なる物体としか見ないのだ。2015年3月、まだ建っているがその去就は不明。ところで僕は請われると何を置いても出かけたくなってしまう。

<文中敬称略>

大浦小
大浦小
会津八一記念館
会津八一記念館
大浦小掲示板
大浦小の体育館
大浦小掲示板 (昔といま)
大浦小掲示板 (昔といま)

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