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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(25)
長崎市公会堂(1962年 長崎市) 

写真と文 兼松紘一郎

この地の人の想いの籠った建築を! 

 嘗てJIAで見かけた建築家武基雄早稲田大学名誉教授に時折思い馳せるのは、武はフィリピンで戦没した父の実家のある長崎市の出身、同郷の人だと近親感を覚えるからなのかもしれない。そして長崎市公会堂、水族館、宮城県の古川市民会館(現大崎市民会館)、鎌倉の商工会議所会館などの武の建築を見ると、どの建築も次の時代を見据えた技術にトライし、その全てが建つ地の風土と`人の生きていくこと`に寄り添って形態を模索し、心を込めて建ててきたことに気が付くのだ。

 実家の近くに建つ長崎市公会堂からは武の風貌を連想する。どっしりとしているが品格があり、人への温かい眼差しが感じとれる仕上げ材と空間構成。戦前に東京杉並で生まれた僕は故あって長崎中学に入学し、2年生の時に転校したものの、その1年半の長崎での少年時代に悲惨な原爆とその実態に生々しく向き合うことになった。この公会堂は1956年原爆10周年を記して当時の知事西岡竹次郎を会長に、田川長崎市長などが副会長に、地元や日本全土の政界、財界の支援を受けた長崎の復興を願う「長崎国際文化センター」建設委員会の許で建てられた。だがこの地に市庁舎を新築するという現市長の構想によって市議会は解体決議をしこの3月31日閉館した。

 長崎の建築家中村享一から声が懸り、2013年11月3日、武の許でこの公会堂の設計を担当した渡辺満と共にパネリストとしてシンポジウムに参加。同時に僕は中村の縁で長崎放送の番組で塚田恵子アナウンサーと対談、この公会堂と僕自身の生き方をも含めてこの建築への想いを語り合った。イベントの司会を何度もやり、好きな音楽のコンサートなどを聴いてきた塚田もまたこの公会堂への想いが膨らんでくるようで、話が弾んだ。

 中村は林一馬長崎総合科学大学教授とともにこの建築の存続を願って「長崎都市遺産研究会」を構築。上記文化センター建設計画資料と建設事業完了記念誌を復刻し、僕は建築学会図書館に収録した。この公会堂を使い続けたいという市民の声が増えているとくじけない中村は、保存を求める市民団体と共に6万6千人の署名を持って、毎年8月9日の長崎原爆投下の日に平和宣言をする市長に面談要請をするが受け入れられない。市長のスタンスは二律背反だと釈然としない僕は、中村と考えを取り交わし僕の想いの一端を託す。改めて思う。建築は人間そのものだ。

<文中敬称略>

長崎市公会堂
長崎市公会堂
外観
外観
入り口
入り口
長崎市公会堂ホール 
長崎市公会堂ホール 
長崎市公会堂ロビー
長崎市公会堂ロビー

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