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建築ガイド
建築保存物語
建築保存物語(27)
鎌近新館跡地を見ながら

写真と文 兼松紘一郎

建築と人の生きること 

 「建築とまちづくり」誌(新建築家技術集団機関誌・月刊)に26編連載してきた`建築保存物語`を、JIA(日本建築家協会)関東甲越支部のHPに転載してきた本稿を改めて振り返えってみる。

 このシリーズは、「愛おしき母校たち」と題した千葉県柏市にある僕の母校県立東葛飾高校(略称:東葛高校)の僕の(僕たちの)学んだ校舎、大正末期・1924年に建てられた旧館が解体されたことからスタートした。そして、赤紙で召集された父がフィリピンで戦没したことにより、戦後家族ともども僕の生まれた東京の杉並区馬橋から、柏、長崎、天草の下田村(現天草市下田)、再度長崎、千葉県の柏に戻るなど、各地を転々と引っ越したことに触れた。すると学んだ学校、小・中・高の校舎、ことに建築を目指すことになって入学式や卒業式も行われたお茶の水駿河台の「明治大学記念館」、更に堀口捨己先生に学び、先生の設計した駿河台校舎・図書館等々その全てが解体されたことに気がつき、「僕の学んだ校舎はない」と閉じる。

 最終稿は、2015年の7月号。建築家になった僕の活動を恰好良く「生きざま」とも言いたくなる「近美100年の会」の活動と共に″と題した神奈川県立近代美術館(「鎌近」と称されていたが本活動では近美と略称)の保存活動で〆た報告文である。そこではこう閉じた。『さて「建築保存物語」は本稿で終焉。社会の変遷の中で、何よりも建築と人の生きること″を考え続けてきた2年間だった。

 ところでこの最終稿は2015年の7月号である。1年半を経たのか!と感慨もあるが、「小さな箱・大きな声」と題した小冊子を機関誌とし、鎌倉の神奈川県立近代美術館の本館と新館を何とか遺して使い続けてほしいと願い、高階修爾氏を代表に僕が事務局長を担って創設した上記「近美100年の会」の会報は、もう一号発刊して閉じる。ところで八幡宮からの要請があって借地として提供して貰った近美の敷地を、県は鶴岡八幡宮に返却したが、幸い「本館」は残して八幡宮の施設として使い続けられることになったものの、「新館」は解体されてしまった。

 またまた私事になるが、40数年前に縁あって板画家棟方志功にお仲人をしてもらって妻君と一緒になり、神奈川県海老名市の団地に住む。此処が終の棲家になるだろうと思っている。人生諸々だ!との感慨もある。

 高校では文学部に所属して文化祭の実行委員長を担ったりしたものだが、OBとして大正ロマンに満ちた母校のこの校舎解体に疑念を持ったことが、JIAの保存問題委員会の委員長や理事を担う切っ掛けになったことを想う。つまり「建築と人の生きること」を考察することは、建築家として『つくる』上でも、『人として生きていく』上でも懸け離すことができないと確信することになったのだ。そして「追記」として敢て書いておきたい事の一つは、では「僕の故郷は何処なのか?」と言う命題である。

<文中敬称略>

葛の会・名簿(会報)
「近美100年の会」の会報第1号
葛の会・名簿(会報)
葛の会・名簿(会報)
旧明治大学記念館講堂
旧明治大学記念館講堂
旧明治大学記念館
旧明治大学記念館
記念館等の解体後に建てられた明治大学駿河台校舎:リバティタワー 
記念館等の解体後に建てられた
明治大学駿河台校舎:リバティタワー 
■鎌倉近美2016年12月10日撮影
鎌倉近美 2009年12月12日撮影
鎌倉近美 2009年12月12日撮影
鎌倉近美2016年12月10日撮影

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