- 2012.12.15
- まち歩き・見学会
開催日:2012.12.15
見学コース:近藤勇の墓、千川上水分水栓、上御代の台分譲地、旧陸軍省境界石、加賀公園、石神井川緑道、憲兵詰所跡、中央公園文化センター(旧陸軍東京第一造兵廠本部)、中央図書館(旧陸軍東京第一造兵廠銃砲製造所)、北区立十条富士見中学校、十条銀座
参加者数:14名(含 一般市民)
概要:
■ 城北地域には敗戦により払い下げられた土地の多くが一団の敷地として残り、大規模な集合住宅や大学等の文教施設、また公園等の公共施設の用地として活用されています。そして、これらの残されたモノは地域の骨格を形成する重要な要素となっています。特に北区ではその特色が顕著にみられ、近年、これらを地域資産としてとらえ、積極的にその活用が図られています。
■ このことを理解するには、城北地域を東西に横断する石神井川から考えなければなりません。かつて蛇行しながら流れていたこの川は王子周辺で渓谷をつくり、その一帯は飛鳥山と並び称される景勝地であったことが「滝野川」の地名からも想像されます。
加賀藩前田家の下屋敷はその石神井川を邸内に引き込み築山のある回遊式庭園を有する21万余坪の広大な敷地でしたが、徳川幕府崩壊とともに明治政府に上地される定めにありました。
泰平の世も終焉し、幕府は火薬生産の近代化を図るため慶応元(1865)年、澤太郎左衛門をオランダに留学させます。澤は新しい技術とベルギーより購入した圧磨機圧輪とともに帰国し、新政府のもと旧加賀藩下屋敷のうち約3万坪の敷地にて陸軍の西洋式火薬製造所を建設、石神井川を動力とした有煙火薬の製造を行ないました。
このことが、この地が陸軍の武器弾薬の供給地として拡大していく始まりの一つでした。
そして富国強兵の令のもと、北区・板橋区周辺(特に王子・十条・加賀地区、赤羽地区)は軍施設や軍関連施設が集中し、民間の関連産業施設も集中していくことになります。
ここに軍関係施設が集中した理由は「千川上水とあわせ、この地域には動力として利用できる水利があったこと」「墨田川や整備された街道により市中との物資の運搬が容易であったこと」「皇居に近い割には比較的まとまった土地が安価で手に入ったこと」等が、考えられます。
■ しかし、地域の歴史を別の視点から見れば、集積した軍事機能の解体は光学機器・精密機器・化学・薬品・火薬などの高度な技術をもった専門家を民間に解放し、戦後の地域の基幹産業として、日本の高度成長にあわせて発展していきました。
そして、かつての広大な軍用地は、大部分が公共の用を担い活用されています。
今回のまち歩きは、歴史の時間をたどるようなコースで巡り、公共施設として活用されている北区立中央公園文化センター(旧東京第一陸軍造兵廠本部)、北区立中央図書館(旧東京第一陸軍造兵廠銃砲製造所)等を訪ねます。
そして、現在のエネルギーを感じさせてくれる「十条銀座」を訪ねるコースです。(案内文より)
(鈴木 和貴)