報 告
JIAトークレポート JIAトーク実行委員 廣部剛司
『文字の旅』
JIAトーク2019 Vol.176
講師:中塚翠涛氏(書家)
日程:2019年9月4日(水)
場所:建築家会館本館1階ホール
<文字の旅>
そのとき、会場に居合わせた方々が一様に息を呑み、一瞬にして会場の空気が変わった。大きな刷毛は和紙の上を鋭く走り、最初の一画が書かれた。
それまで、1時間あまりにわたって、笑顔でご自身の生い立ちやこれまでの活動、日頃から興味を持っていることについて丁寧に話されていたことのすべてが、この一瞬に集約される。これまで書家として費やされた膨大な時間とエネルギーが、この日、最もわかりやすく伝わったのは、やはり筆を通してだったように感じる。
書家・中塚翠涛(すいとう)さんと最初に出会ったのは、奇しくもこの場だった。JIAの大きな会合に、帽子(ハット)を颯爽とかぶった姿で来られていた。「空間カリグラファー」というスタンスで、空間と書の関係を話されていたのが強く印象に残り、以来、個展やパフォーマンスに、時折お邪魔するようになった。もうずいぶん前のことである。
この会の前日に、送っていただいた十数枚のスライドと共に、より話しやすいようにインタビュー形式でできないか? ということになり、当日は自分も急遽、聞き手として登壇させて頂くことになった。
<美術館巡り>
美術館を巡ることを大切にされている、ということからトークは始まる。
岡山県の倉敷生まれの中塚さんは、大原美術館に通ううちに、自然とアートへの関心が深まっていったという。
それゆえ、旅先でアートにも触れるのは長年の習慣だったというが、あるとき衝撃の出会いをされる。
ヒューストンにあるメニル・コレクションの美術館は、レンゾ・ピアノの設計による名作だが、その一画にある「ロスコ・チャペル」。
八角形の洗礼堂のような平面を持つその空間に、中塚さんは衝撃を受けて2日間、食事の時間以外は、ずっとそこにおられたという。
画家・マーク・ロスコは、晩年単体での作品製作をやらなくなる。自分の描いた作品群に「包まれる」ことを想定して、そのような方向にむかうのだが、このロスコ・チャペルは最晩年の集大成となるべく計画されていたものだった。(最初はフィリップ・ジョンソンが設計をしていたが、ロスコと意見が合わずに途中でおりている)
そこにずっと佇んでいると、作品の暗い画面は、おさえたトップライトから落ちる光で、様々な様相をみせる。そのなかで、菩薩の姿すらあらわれたように感じたという。
ロスコの作品は、年代を追ってみていくと、初期の具象画から徐々にハレーションを起こすように抽象に向かっていき、晩年にいくほど色調が暗く、限りなく黒へと近づいていく。
その最晩年の作品のなかに「墨の色はただの黒ではなく、様々な色が込められている」と語る中塚さんが心動かされたのは、きっと偶然ではないのだろう。
それからというもの、美術館巡りが旅の「目的」になっていたという。この日もマティスのロザリオ礼拝堂、アンディーブのピカソ美術館、ベルンのパウル・クレー・センター、ルイジアナ現代美術館など、強く印象に残ったという場と作品の線などについて、時間を割いて丁寧にお話された。
そのなかで、バルセロナにあるミロ美術館についてふれられたときに、晩年のミロが来日した際、大きな書を揮毫(きごう)している書家をみている写真について話された。晩年のミロは書の練習もしていたそうで、ミロの線に惹かれるご自身が、ミロに影響を与えた「書家」であることの面白さも感じられたという。
<アートワークとクライアントワーク>
パリのパラスホテル(最高級の格付け)であるホテル・ムーリスでの個展では「ホテルに忍び込むような作品を」と依頼され、作品のインパクトで目立たせるのではなく、空間の中でできることを探っていったという。フランスでの活動は、ルーブル美術館の地下展示場300平米のインスタレーションに繋がり、その空間を自由に楽しむ人々の姿と、それで賞を受賞される様子はTBS系列の「情熱大陸」という番組でも紹介されていたので、ご記憶の方もいらっしゃるかも知れない。
クライアントワークとしてまず紹介されたのは、ユーハイムのパッケージデザイン。何か一緒に、と声を掛けられて、まずは工場に向かい、対話の中から円相をモティーフとしたバームクーヘンのパッケージが誕生したという。
フランスの老舗ゲランから依頼されたのは香水瓶「ミツコ」の100周年記念デザイン。
モネやドガが現役だった時代(1919年)に「ラ・バタイユ」という小説に出てくるという妖艶な「ミツコ」にインスピレーションを得てつくられた香水だという。それは西洋から見たオリエンタリズムのなかの東洋。そこで、今何をするべきかを探るうちに、一本の樹木に咲く紅白の梅を描くことに辿り着いたという。
最近発表され、話題となったのは、来年(2020年)の大河ドラマ「麒麟がくる」の題字を担当されたこと。戦国時代に思いを馳せ、関係される方々の思いを受けとめながら膨大な枚数を書かれたエピソードなどを伺うことができた。
<西洋の漢字と東洋のアルファベット>
「行ったり来たり、いい意味で悩んでいるようにみえる」
作品を見た方から、パリで言われた言葉が深く印象に残っておられるという。
幼少期から正式な書の鍛練を積まれた中塚さんは、今でも中国の古典を書くこと(臨書)を、まるで行のように続けられている。それについて伺ってみると、それは「立ち返る場所」なのだといわれる。間の取り方、筆法など、残されているものの素晴らしさを感じつつ、「今」の表現のために欠かせないこと… という言葉からは、長い書の歴史のうえに立つ覚悟のようなものを感じさせられた。
<まるで飛行機雲のように>
中塚さんの存在が広く知られるようになったのは、テレビ朝日系で放送された「中居正広の身になる図書館」で美文字の先生として登場されたことが大きいのではないかと思う。その時、冒頭で紹介した際にトレードマークにされていた「帽子」を脱ぐことになったそうだ。
世間で一般的に考えられている「書家」のイメージを崩そう、とかぶり始めた帽子は、ご本人曰く「鎧(よろい)のようなものだった」と。
伝統の上に立ちながら、新しいことに挑んでいく。その探求者としての姿勢が徐々に浮かび上がっていくのを、この日会場にいた皆さんが感じられたのではないだろうか。
「言霊(ことだま)」を大切にしたいと語る中塚さんは、作品のテーマにもネガティブな言葉を選ばないそうだ。悲しいときも、自分でも驚くほど明るい言葉をしたためると。
「自分自身が楽しんでいないと、まわりにも伝わらない」
冒頭で紹介した「書の実演」で中塚さんが書かれた言葉は『一期一会』。
出会いを大切にし、その場で変わっていくことは、まるで
「飛行機雲のように毎回違ってくる」。
明るい笑顔で話される様子に、なにか面白いこと、楽しいことを前提とした美しさを求めて中塚さんに「委ねてみよう」と考える人々の気持ちがわかるような気がした。
(JIAトーク委員 廣部剛司)
(本記事の写真は、蔵プロダクション撮影)
概 要
年4回開催しております「JIAトーク」の2019年度、第2回目として、書家の中塚翠涛氏をお招きして、「文字の旅」をテーマにお話をお聞きします。
入場無料で、どなたでも参加できますので、お誘い合わせの上、奮って、ご参加ください。
詳細情報
- 開催日
- 2019年9月4日(水)
- 時 間
- 18:30 - 20:30
- 会 場
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建築家会館1階ホール
東京都渋谷区神宮前2-3-16 - 交通案内
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東京メトロ銀座線外苑前駅3番出口より徒歩約8分
- 講 師
- 中塚翠涛氏(書家)
- 参加対象者
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どなたでも参加できます
(会場の準備の都合上、事前申込をお願いします) - 参加費
- 無料
- 定 員
- 100名(定員を超える場合はご連絡いたします)
- CPD
- 2単位申請予定
- 問合せ先
- JIA関東甲信越支部事務局 担当:菊地(TEL:03-3408-8291)
- 申込方法
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参加希望の方は、催し名、氏名、所属先名、連絡先TEL、メールアドレスを明記のうえ、メール(talk@jia.or.jp)又は、FAX(03-3408-8294)にてお申込みください。
※CPD単位取得希望の方は、CPD番号も明記ください。
※定員を超える場合以外は、受付等のご連絡はいたしませんので、当日は時間までに会場にお越しください。 - 主 催
- JIA関東甲信越支部 JIAトーク実行委員会
- 協 賛
- 日新工業株式会社、日本アスファルト防水工業協同組合