JIA Bulletin 20054月号/海外リポート


ネパールの今
山口 洋一郎
ポカラから望むマチャプチャレ(6997m)
棚田
ネパール・ダルバール広場
2月はじめ、ギャネンドラ国王が、ネパールの首都カトマンズに非常事態宣言を発し、首相はじめ閣僚を解任、全権を掌握したことは耳新しい話です。おまけに報道管制を敷き、ネパールはいわば鎖国状態になっている。数十年前の中南米国家の状況のようです。
 まだ記憶に新しい2001年、前ビネンドラ国王一家が皇太子に皆殺しにされ、現国王が即位したことを、ネパール国民はすべて現国王の仕業と信じているのです。それほど不人気の国王が、今回の暴挙はこの先議会制民主主義を否定し国王親政にするための予定の行動であったのでしょう。
 実は、ネパールが民主化されたのは、なんと1990年なのです。いわば、日本で言う明治維新からまだ20年もたっていないのです。それまでは、何世紀にもわたって国王親政が続き、何から何まで世界の状況から取り残されていたのです。もちろん、今でも世界で最貧国のひとつといわれています。
 ちなみに、この政変が起きる前からネパールは内戦状態でした。貧富の差が激しく、約90%は貧困層で、10%の支配階級に富が握られているといわれています。
 この不合理を打ち破ろうと共産主義者(毛沢東主義者=マオイスト)が台頭し、現在カトマンズ盆地と約200km西方にあるポカラなどの主要都市のほか、それを結ぶ幹線道路両側2kmまでしか国軍の支配は及んでいないといわれています。
 今までの議会は政党闘争に明け暮れ、また、中央・地方の官吏の間に汚職がはびこり、われわれ旅行者も空港で便宜を図ってもらおうと思ったら、税関吏に袖の下を渡せばよいのが実態です。これらのことに政府はなんら解決してこなかったことも事実です。
 これが現国王の暴挙の根拠になっています。

私は、実はこの2月10日より、4度目のネパール行の予定でした。そのきっかけは、私の恩師が30年ほど前から、ポカラで知的障害児の養護学校と保育園を経営・教育しています。この学校の建替計画に携わることになったので何度か訪ねることになったのです。この学校では、貧しい家庭のハンデのある子供を預かり、わずかな授業料しかもらわず、充分資材のない中、訓練をしてできるだけ社会復帰させようと奉仕しているのです。もちろん、ほとんどの経費は日本の心ある人の寄付によって賄われています。
 特に、保育園は貧しい母子家庭(無責任な男がこの国には多い)の子供を預かり、その間に母親は、過酷な労働でその日の糧を得ているのです。私が目撃したのは、ポカラの町はずれの50mはあろうかという断崖絶壁の河床から、数10kgの砂を袋に詰め背中に背負い、それこそあえぎながら崖上の砂集積場まで1日に10回運んでいる姿でした。この作業で180円が一日の稼ぎだということで、日本の1/100以下の暮らしになると思います。だから、恩師の保育園は大いに役だっているのです。
 また、ポカラの青年実業家はシッタルダ・クラブという奉仕団体をつくり、貧しい人に自腹を切って無料で医療を施しています。恩師はその青年たちにも援助の手を差し伸べて新しい診療所を、私の設計で土地つきで建てて上げようとしています。日本人の恩師の活動には頭の下がる思いです。

保育園の子供たち
ポカラの古い石造りの民家
石造のトリブバン大学ポカラ分校

ところで、ネパールはエヴェレストを頂点とする8000m級の山々が連なる美しいヒマラヤ山脈のある国として有名です。多くの登山家がヒマラヤ征服に訪れ、また、美しい山容をめでに多くの観光客が訪れています。カトマンズからポカラへの飛行機から目線よりも高くヒマラヤが聳え、崇高な感動を覚えます。一転、眼下に目を移すと、ヒマラヤに続く低い峰々のてっぺんまで棚田が続き、ぽつんぽつんと農家が点在しているのが良くわかります。ほとんど道なき場所に細々と生活を営んでいる田舎の人は、2、3日歩いてやっと幹線道路に出、さらにバスに乗って町の医者まで行くのが普通だそうです。
ポカラはアンナプルナ山群を望む随一の観光地で、ぺワ湖に写るマッターホルンに似たマチャプチャレ山は素晴らしい景観です。今はやりのトレッキングの基地にもなっています。このような観光資源がありながら、なかなか貧しい国から脱皮できないのを面はゆく感じるのは私だけでしょうか。
 しかし、砂集積所の隣にある、ブルーシートで雨風をしのいでいるスックンバシといわれるスラム街に家庭訪問に行った折の、その母親のなんと明るいこと。そして、貧乏などに微塵も負い目を感じていない様子や、隣近所の人や、おおむね大家族主義の一般家族は、皆互いに助け合って楽しく生活している様を見るにつけ、金(かね)が最高の価値基準になっている日本は、なんと金と権力に踊らされて、もっと価値あるものを忘れているのではないかと考えさせられるネパールです。

さて、ネパールの建築について紹介しますと、カトマンズ盆地では古くは主にレンガの組石造で、16、17世紀の長い庇が特徴の寺院建築でも、主構造はレンガ造りで、ヒンズー教の木彫り頬杖によって木造の庇が指し掛けられている独特の様式を生み出しています。保存がままならず、朽ちていきそうな古い建物も多く、早くの補修が必要と感じます。それでもカトマンズ盆地の東南のバクタプールという古い都では、入り口で入場料を取り、そのお金で、古建築の保存と町の清掃を行っています。ネパールでは一番きれいな町となっています。カトマンズもポカラも一歩路地へ入ればごみの山ですが。
 ポカラは、石の町です。近くで取れる鉄平石のような平たい石で、積み上げて内外をベンガラに似た赤い土で塗り固めたものがこの地方の典型的な建物です。
 しかし昨今、古くからの伝統的建築に代わって、主に英国で傭兵となって金持ちになり帰郷したグルカ兵(グルカ族で勇敢な兵として知られている)が、赤や黄色に塗られたコンクリート製3階建ての邸宅を建て始め、それが軒を連ねて、ネパールらしさが段々と失われてきています。
 私の設計している建築では、特徴であるこの地方の石を使ったデザインとし、ネパールらしい地域色を是非表現したいと考えています。
 付け加えますと、シッタルダクラブの青年たちは私の考えを感動して喜んでくれました。
 乞う、ご期待。          

 

〈(株)洋建築企画〉

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