JIA Bulletin 2006年8月号/海外リポート | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プノンペン、シソポン、アンコールワットバッタンバン、 コンポンチャム… 私が見たカンボジアの原風景 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古池 廣行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カンボジアは今、過去10年間で平均7%の高成長を続けていて、活気があふれ若いエネルギーに満ち溢れている。日本では世界遺産のアンコールワットで有名な以外、一般的には知られていないが、日本はカンボジアに対し主導的に和平協力を行い、トップドナーとして橋、道路、灌漑、港湾、医療保健分野、経済特区への経済協力を行っている。 私はJICAの病院プロジェクトで2004年と2005年の12月、そして2006年の4月から5月にかけての3回の訪問で、首都プノンペンを拠点にシソポン、シェムリアップ、バッタンバン、コンポンチャムと約2ヶ月の滞在をし、モンゴル・ボレイ、ポイペト、ウドン、シアヌーク・ビルの街を訪問した。今までは治安上行くことが難しかった地方訪問を通してカンボジアの原風景と街の印象を紹介したい。 カンボジアの中央部は見渡す限り平らで豊に広がる稲穂、牛、砂糖椰子、青い空と雲の風景が広がる。 下の写真はシェムリアップからシソポンに向かう途中の休息で出会った雲の下で草を食む牛の風景である。
シソポンからバッタンバンに向かう途中の道路は平坦で真直ぐに伸びている。夕闇迫る頃のドライブは印象深い物がある。国境沿いは山岳地帯であるが、国土の中央部には雨期と乾期で3倍も大きさが変わる大きなトンレサップ湖があり、その周囲は平坦な湿地帯で稲作に適し、年間2、3回の収穫が可能である。カンボジアは豊かである。 原風景で忘れてはならないのがシュガーパーム(砂糖椰子)の風景である。霧雨の時などは先の方がかすんで見え、幻想的である。
カンボジアの街の特徴は街角、ロータリーにあり、必ず印象深い像や塔がある。 王都プノンペンはフランス統治時代に開発され「東洋のパリ」と称されていたが、1975年4月、ポル・ポト軍の入場で一時はゴーストタウンとなった。今、街は人、物があふれ世界各国のレストランが軒を並べている。 プノンペンの街を特徴付けているのはモニュメントのあるロータリーと華やかなレストラン街である。前者はワット・プノン、セントラルマーケット、独立記念塔であり、後者はトンレサップ川側沿いのシソワット・キー通りや独立記念塔があるノロ・ドム通りである。 街の交差点に面する建物は必ずコーナーに入口があり、上階は丸いバルコニーを設けるのが約束事になっているようだ。歩道の幅はゆったりとしていて車が縦に止まっても人が通れるほどで、時には露天商のスペースとなる。 コンポンチャムやシソポンの地方都市も同様である。
シソポンはカンボジア北西部のタイ国境へ約40kmのところにあり、タイからアンコールワットとプノンペンへの分岐となる交通の要所である。この街入口のロータリーの一つにサルの神ハマヌーン像がある(写真左下)。 モンゴル・ボレイはシソホンからバッタンバンに向かう途中にあり、町への入口には写真(右上)のような仏頭がある。同様なものは街道筋で良く見かける。 バッタンバンの入口には巨大な黒い像(写真下左)があり、ちょっとびっくりする。
モンゴル・ボレイ村の川に架かる木造橋は屋根が付いている。時には牛車がこの屋根付き木製橋を通る。このモンゴル・ボレイ川もトンレサップ湖につながり、乾期と雨期で水位が大きく変化する。
プノンペンから北東約120kmのコンポンチャムには日本の援助で完成したメコンに架かるスピアン・キズナ(絆橋)があり、橋入口のロータリーに完成記念の碑とシンボルがある。この橋は500リアルの紙幣に印刷されている。
カンボジアの農村で良く見かける家は高床式で小さな切妻屋根が二つ、三つと重なった形をしている。家族が増えると屋根を継ぎ足すとのことである。継ぎ足した部分が谷樋となるが、雨水を溜めるのに役立っている。 今春、整備計画策定のためコンポンチャム病院に訪問した際、四体のガルーダ像が整備計画で取り壊す予定の建物の四隅にあった。なかなか立派なので、これを計画建物に取り込もうと思案中である。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〈(株)梓設計 設計本部 国際部〉 |
Copyright (C)The Japan Institute of Architects Kanto-Koshinetsu Chapter. All rights reserved. |