旅は、ローマへ向う機中で観た話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」から始まった。物議をかもし出すなど真偽のほどは定かでないが、大変興味深く引き込まれるものがあり、彼ら西洋人にとっての宗教と、無宗教に近い私にとっての仏教とはあきらかに違う存在であるらしいということが脳裏に刻まれた。
さて、この海外レポート、私的な観光旅行によるものであり、建築視察旅行によるものではないとお断りしておきたい。某ツアー会社の《大・好・き イタリア》と銘打たれた、イタリア半島を南から北まで10日間で一気に駆け抜ける旅によるものである。
■1日目
昼頃、成田空港を発ち、同日の夕方、ローマ郊外の空港に到着。入国後、用意されたバスでそのまま街中心部に近いホテルへ向う。密集した中層住宅地やバチカン宮殿の脇を通り抜け、「あー、イタリアに来たんだ!」と実感し期待に胸が膨らむ。夜早く、小腹も空いていたので付近を散策しサンドイッチとカプチーノを手に入れる。前回来た際、と言っても20年ほど前だが、同様、やはりカプチーノは美味しい!
■2日目
今日は終日、ローマ市内観光である。
このローマ、3000年近い歴史があり、街中がまるで遺跡博物館のようである。現地ガイドがあちらを指差し「あちらの建物は千数百年前に建てられたもの」、他を指差し「こちらは2千数百年前に」、はたまた「たった今通り過ぎた教会は、ぜいぜい300年前。新しいですね」と言う。街中がそんな建造物だらけなのである。東京で数百年前と言えば随分古い、と言われるのとでは大違いである。地面を掘れば何かが出てきて千数百年前だ2千数百年前だとなるそうで、そんな状況ゆえローマの建物にはほとんど地下がない。
話が少しそれるが、イタリア人はラテン系で陽気だと言われ、南のほうがその傾向がより強いらしい。その南イタリアにある大都市ローマを走っていると、何となく道の様子がおかしいのに気付く。よく見ると、大半の道路に車線がない! 大都市ローマで、数車線分あるであろう大通りにいたってもである。おまけに、先ほどの理由で地下の建造物が難しいため、駐車場はほとんど路上である。道の両側にずらりと縦列駐車が1列、のはずだが、所々勝手に2列になったり向い合って並んでいたり(つまり反対車線)する。おまけに、車と車がくっつかんばかりに停められており、出る際にはバンパーをクッション代りに前と後の車にぶつけ少しずつ押し広げていくので、サイドブレーキはかけないのが暗黙の了解だそう。そして、道には車線もないのである。どのようなことになるか察しがつくと思うが、狭まった走行車線で空いた隙間に車がどんどん入り込み、時に1車線、時に2車線、さらには反対車線まで入り込み3車線になったりもする。その結果、進まない。当たり前である。あるいは、ぶつからんばかりの隙間を走り抜けたりする。冷や冷やものであるが、ここまでくると「運転技術は凄いなー」と妙に感心するしかない。現地ガイド曰く「イタリアの車にサイドミラーは不要です。なくても車検は通ります」とのこと。真偽のほどは定かでないが、本当のようにも思えてくる。もっとも、石畳の道が多く車線を引きづらいのも事実らしい。
さて、本題に戻り、観光である。朝一番に、バチカン美術館へ出かける。
『バチカン美術館』は、全世界のカトリックの総本山であるバチカン市国内にあり、歴代教皇が当代最高の芸術家達に造らせた膨大な質・量の美術・建築のコレクションを誇る。とにかく広く、展示コースは全長7 kmに及ぶそうで、現地ガイドの先導のもと見所だけを巡った。
燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー、地図のギャラリーでは、展示品が壁面に飾られていたり、室内装飾としてあるべき姿で展示されているので、美術品である建物と渾然一体となり、完全に中世の権力中枢のもとへタイムスリップしたかのようである。素晴らしい豪華さである。続いてラファエロの間。ラファエロが壁画を手がけた部屋で、有名なのが「アテネの学堂」。子供の頃教科書で見かけた絵で、目にした瞬間「あっ、この絵知ってる!」。以降、あちこちで何度となくこの言葉を口にした。壁画だとは知らず、まずその大きさに驚いた。古代の哲学者達を、ラファエロが生きた時代、ルネサンス期の芸術家達をモデルにして描いたものである。例えばプラトンはダ・ヴィンチ、ヘラクレイトスはミケランジェロといった具合で、偉大な芸術家達の顔だけでなく風情もそうであったのかと想像でき大変興味深かった。
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バチカン美術館内からサンピエトロ大聖堂を望む |
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黄金色に輝く天井画と装飾で埋め尽くされたバチカン美術館の回廊 |
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そして、最大の見所であるシスティーナ礼拝堂。壁には「最後の審判」が、天井には「創世記」が描かれ、共にミケランジェロの代表作である。「最後の審判」はキリストと聖母マリアを中心に天上と地獄が描かれた巨大な祭壇画である。鮮やかな濃い青地に、ほぼ裸体の神・人物達が肉体的に筋骨隆々と描かれており、躍動的で凄い迫力である。ミケランジェロは肉体的な彫刻で有名であるが、その彫刻が壁に貼り付いているのではと錯覚させるほどであり、ただただ呆然と見上げるばかりであるが、祭壇画だというから更に驚きである。また「創世記」は、壮年のミケランジェロにとって初の天井画だったそうで、最初は緻密に描いていたのが、細かく描いては床から良く見えないと途中で悟り、後半は大きくシンプルにダイナミックに描いたそうである。
次いで、『真実の口』へ。オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」で有名であるが、同様にお決まりのポーズで記念撮影。
そして『コロッセオ』へ。コロッセオは西暦80年に完成した、6万人収容の円形闘技場である。広大なアリーナでは、剣闘士と猛獣、囚人同士の死闘が300年以上にわたって繰り広げられたというから恐ろしい。地下には猛獣や囚人達が、ドーリア式柱の並ぶ1階には貴族席が、イオニア式柱の2階には庶民の席が、コリント式柱の3階には立見席があったそうで、当時は、この広大なコロッセオに日除けの天幕が張られていたそうで驚きである。また、至る所に壁面の窪みが見られるが、これは第2次世界大戦時に貴重な鉄を得るため、補強に使われていた鉄筋を引き抜いた跡だそうで無残である。
このコロッセオと隣接して『フォロ・ロマーノ』がある。1200年も続いたローマ帝国の政治・経済の中心部で多くの遺跡があるそうだが、今回は時間がなく遠くから眺めただけ。
この後、再びバチカン市国に戻り、カトリックの総本山『サンピエトロ大聖堂』を見学。午前中訪問の予定であったが、大聖堂前のサンピエトロ広場でローマ法王の謁見儀式があり入場できなかったため午後となる。大聖堂前に到着し驚いたのが、広場一面に並んだ膨大な椅子の数。そして、大聖堂入場に並ぶオレンジ色のスカーフを巻いた大勢の人達。椅子は、謁見儀式の関係者と集まった信者達のためで何千脚とある。立ち見も多かったと予想されるので、一体、何千、何万の人々が集まったのであろうか? また、オレンジ色のスカーフを巻いた何百を超える老若男女の人達。彼らは、ピサから何十台ものバスをしたてて巡礼にやってきたのだという。彼らにとって、キリスト教は生活に根ざしたとても大きな存在なのであると実感した。
さて、大聖堂内に入る。20年前にも訪れており再訪なのであるが、その荘厳さに改めて感動する。16、17世紀に、ブラマンテ、ミケランジェロ、ベルニーニらによって設計、制作され、その大きさといい、彫刻や装飾で埋め尽くされた内部の豪華さといい、やはりカトリックの総本山と感じさせられる。祭壇の上にあるミケランジェロ設計のドームは、側面から光が差し込むようになっており、全体に薄暗い大聖堂の中でそこだけ明るく天上の世界を感じさせる。また、金の装飾が施された絢爛豪華な祭壇を浮かび上がらせ、素晴らしい効果も生んでいる。
次に『トレビの泉』へ。後ろ向きにコインを投げると再びローマを訪れることができるという伝説で、観光客に大変人気が高い。ちなみに、1度投げるとローマ再訪、2度投げると恋が叶い、3度投げると離婚ができるそうである。興味ある方はお試しを。
この日、最後に『パンテオン』を見学に行く。紀元120年頃に建造されたものが現在の姿で、高さ、直径ともに43.3 mの巨大なドームを持つ。その頂上には大きな穴が開けられており、そこから1本の太い光が差し込む様は幻想的であると同時に力強い。
さて、一日の終りは旅の醍醐味でもある夕食。カンツォーネやオペラのアリアをイタリアワインと共に楽しみ、歌と素晴らしいローマの建築・美術にブラヴォーと拍手してこの日を締め括った。
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コロッセオ外壁 |
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■まだまだ続きますが、誌面の都合上Bulletin掲載はここまでとさせて頂きます。
〈ダンス建築研究所〉
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