ヨーロッパをレンタカーで旅をしていると中世の旅人のような感覚がする。もちろん、当時より移動速度は何倍にもなっているが、丘を超え森の向こうに次の村や街が見えてくる。ある街は城壁の跡を残し、ある街は遠くから聖堂の鐘楼が見え、ある村は丘の頂に古城があり、村のはずれに小さなチャペルがある。海に城壁が張りだし、ローマ時代の遺跡がある。そんな街や村をいくつも通過したり、立ち寄ったりした。
今回の旅ではまずブダペストに入り、レンタカーでクロアチアのザグレブ、ポレチェ、プーラ、スロベニアのポストイナ、首都リュブリャーノ、プトゥイ、多くの街を訪ねた。そして、旅の目的は「ヨーロッパらしさの再発見」ではないかとも思う。もちろん、昨今のパリだってロンドンだってヨーロッパの今日であるし、ヨーロッパの中心である。ただ、スペインの地方都市や、プラハやハンガリー、クロアチアだってヨーロッパなのである。むしろ、ユーロ圏の周辺にこそヨーロッパの本質があるのではないか? もっとも、それはユーロが値上がりしてしまってパリには近づけない、貧乏旅行者の負け惜しみにすぎないかもしれないが。
2000年にプラハ、ウィーン、ベェネチアと旅をして以来の中欧である。今回の地域は一概に東欧とはいえない地域である。地図を広げてみると分かるのだが、ブダペストはほとんどヨーロッパの中央にあたる。ましてや、カトリックの国であるクロアチア、そしてスロベニアもカトリックの人口の方が多い国である。20代のころ、イタリアからギリシャに渡った。鉄道だと、旧ユーゴスラビアを通るのだが、何故かその地方にはユーゴの情勢がそれほど乱れてはいなくても、足を踏み入れてはいけないと思っていた。おそらく、当時(20年前)のバックパッカーの間には暗黙の了解があったのだろう? 僕もイタリアの踵にあたる、プリデンシィの港からフェリーでギリシャに渡った、その証拠にそのフェリーには多くのバックパッカーや、ユーレイルパスの旅行者が乗っていた。そのなんとなく行ってはいけない地域もベルリンの壁の崩壊、1989のビロード革命、旧ユーゴの解体以降どんどん減ってきた。
さて、前置きが長くなった。今回の旅で印象に残ったいくつかの街について触れてみよう。
ハンガリー/ブダペスト
ブダベストはウイーン、プラハと共に19世紀から20世紀初頭にかけてハプスブルグ帝国として栄えた帝都だ。やや、天気のせいか、その2つの街よりは全体にグレーな印象を受けた。それでも、大きな彫刻の付いたファサードや、鋳鉄製の手摺、石積に帝都の面影を残している。
世紀末の建築家、レヒネル・エデン(1845-1914)の名前は日本ではあまり知られていないが、装飾工芸博物館(1896-99)、郵便貯金局(1899-1901)、などは、ゼセッション・アール・ヌーボーの影響が濃く、その中に色彩豊かなタイル、陶磁器がちりばめられ素敵な建築だ。特に装飾工芸博物館のエントランスのタイルは、タイルというより陶器の工芸品といった趣である。手摺も大型の陶器で作られていて、艶やかな色彩を誇っている。ちなみに、装飾工芸博物館の左手に椅子に座った建築家の銅像がある。
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ドナウ河と国会議事堂 |
郵便貯金局 |
国立オペラ座(1884)/ミクロシュ・イブル設計は、オペラ座の典型のような建築で、ルネッサンス様式。荘厳である。特記すべきは、インテリアでシャンデリアが中央から下がり、バルコニーには女神の彫刻が施され、金色に輝く豪華なホールとなっている。パリのオペラ座、ウィーン国立歌劇場よりもすごい!と感じた。今回はバレエー『うたかたの恋』(ウィーンの王子様が堕ちていくお話)ハンガリー作曲家の作品で、なぜかこの街はウィーンと比較してしまう。
その他、国会議事堂、国立博物館、鎖橋、王宮、名もない建築は18世紀−20世紀初頭のものも多く、散歩していても飽きない。温泉やスケート場、動物園までもが古典的なモチーフで出来ている――もっとも、それらも19世紀の建物が多いのだが。ドナウ河の両側に世紀末の繁栄を今も残している。実は、旅の当初ついたばかりのブダペストの印象はあまりよくなかったが、ハンガリーの田舎、クロアチア、スロベニアと旅をしてきた後のブダペストの印象は違っていた。「都会」「大きな町」という印象に変わっていた。パリやミラノから受ける印象と同じようなものだった。
初めて建物の高さと道路の広さ――もちろん19世紀にはその骨格が出来上がっていた――のバランスの良さ、実際建物は中層が多く、道路も広さを感じた。
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装飾工芸博物館手摺 |
ブダペスト・オペラ劇場 |
クロアチア
クロアチアは左手で指鉄砲を作ったその平たい部分のような形をしている。親指の上がハンガリー、ブダペスト方面。人指し指の上がボスニア? その下がアドレア海だ。中央にザグレブ、人指し指の先のあたりにクロアチで一番のリゾート、ドブロニクがある。今回、ドブロブニクにレンタカーで行くと、Dead
endになってしまい、どうしても周遊が無理。距離からしても戻るのも無理。そこでドブロニクはあきらめて、ザグレブ、ポレチェ、プーラと回ることにした。
ザグレブ
レンタカーで国境を越える。少し緊張してしまうが、なにごともなく入国。広い河を渡るとクロアチアだ。田舎から田舎に入ったため、街や道路の印象はあまり変わらない。
2時間程度一般道のドライブでサグレブに入る。整った顔立ちのイタリアの町といった風情。駅から真っ直ぐに広い緑地のあるドミスラフ広場がつきあたるあたりから旧市街が始まる。旧市街の広場は活気に溢れ、トマムのデコレーションも美しい。このあたりが、近年めざましい経済発展をしている国の首都といった感じがする。街は小高い丘に向かって伸び、丘の上にはマルコ教会がある。この構成は中世都市の典型といえる。建築スタイルも豊富で、ロマネスクからバロック、新古典主義まで様々だ。
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ポレチェ広場 |
プーラ円形劇場 |
ポレチェ・プーラ
アドレア海沿いに発展した都市で、ビザンツ帝国以来、海上貿易で栄えた。ローマ時代の遺跡が多く、円形劇場の跡地、凱旋門、ローマ時代の教会などが今も時の移り変わりを感じさせる。
スロベニア/リュブリャーノ
スロベニアの首都の名前をすぐに揚げられる人はよっぽどの地理に得意な人だろう。
僕はスロベニアの正確な位置すらあやふやだった。山と湖、そしてわずかな海岸線、四国と同じ大きさの国……、その程度の知識でスロベニアに入った。言葉は何語? 貨幣は? 来年からユーロに入るため、何処でもユーロは使えるが、やはり通過は現地のものに限る。……ちなみにスロベニアはトラール、クロアチアはクーナ、ハンガリーはフォリントです。
「若い子が多い!!」スロベニアの首都リュブリャーノに入った時の第一印象だ。街は小さな川――本当にドナウとかモルダウの河に比べると小さい――沿いに発展している。竜の橋。3本橋――指で3を表わしたように、一点から3本の橋が放射線状に出ている――など名所も多い。中央広場に行くと、ここも若者が多い。東京の高田馬場の駅前だってこんなにはいないだろうっと思うくらい若者が闊歩している。そして、若者の顔が明るい。女の子はおしゃれで綺麗だ。イタリアの隣国でとても旧東側諸国のイメージはない。スロベニアがヨーロッパ一の経済成長をしていることを何故か納得してしまう。ホテルでも、ハンガリー、クロアチアでは目立たなかったバックパッカーが目につく――しかし、昨今のバックパッカーはガラガラとスーツケースを引きオシャレだ。中世都市の典型で丘の上には古城があり、今では博物館となっていてスロベニアの歴史を見られる。
旅をして思うことは、建築を造ることは建築を見ることの上に成り立っているということだ。街にいて、その街の空気を吸う。建築を写真で見るのではなく、五感で感じることだ、その土地の旨いものを食し、石畳に立ち、その街の歴史を感じる。これからも、まだ見ぬ国、まだ聞いたことのない風の音、まだ食したこのない旨いもの、まだ感じていない空間を求めて旅に出たいと思う。
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