ベトナムのODAプロジェクトのため、ハノイに出張することとなった。
ベトナム戦争のことしか知らなかった国も、生春巻きやフォー、ベトナムコーヒーなどで身近に感じられるようになった。ハノイ滞在の合間、街を散策し現地の人と接するチャンスを得た。
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ベトナムの地理
ベトナムは南北に1600km、インドシナ半島の南シナ海に沿ったS字形の細長い国土である。南部はメコン河のデルタにホーチミンを中心とした地域、中部はラオスとの国境が迫り幅の狭い古都フエを中心とした地域、北部は中国と国境を接しホン河(紅河)のデルタを中心としたハノイ平野である。
千年の都ハノイ
ハノイには、7世紀唐の中国支配時代に阿部仲麻呂も赴任していた安南都護府が置かれ、ベトナムの中心都市となり、紀元前2世紀からの長い中国の支配時代の後11世紀にベトナム最初の独立王朝李朝の都タンロン(昇竜)が置かれ発展した。その後1802年に阮朝がベトナム中部フエに都を移すが、フランスの支配時代にはインドシナ連邦の中心地となり現代につながる。タンロン、トンキンと呼ばれたが、1831年にハノイと呼ばれるようになった。
政治・文化の中心地
映画「インドシナ」の舞台となった南のホーチミン(旧サイゴン)は「東洋のパリ」と呼ばれ、現在でも商業の中心地としてにぎやかさを保っている。
それにくらべハノイは政治・文化の中心地である。整然とした官庁街、フランスによって作られた並木道やフランス風建築、湖や公園、中国風の由緒ある寺院や古い町屋もたくさん残っている。街を歩く人々に首都としての緊張感は感じられず、街全体が落ちついた雰囲気を持っている。 |
ハノイ中心部地図(ベトナムスケッチより) |
バーディエン地区
独立宣言をしたバーディエン広場を中心に、ホーチミンの遺体を安置するホーチミン廟、独立記念博物館が建ち、また国家機関が集中する。 |
ホーチミン廟 |
外国観光客も多く訪れる大統領官邸
(元フランス総督官邸) |
タンロン城跡地区
11世紀から19世紀に栄えた李朝の城郭跡。フランスはその城郭を撤去し、インドシナ連邦の施設を建設した。
城郭のそばに文廟(孔子を祭る廟1070年建立)がある。ベトナムの最初の大学として、多数の学者や政治指導者を養成した。柑子色の屋根が美しい。 |
タンロン城北門 |
文廟(孔子廟ベトナム最初の大学) |
ハノイ36通り地区(旧市街地)
李朝の都が置かれて以来の街の中心。フランスの改造を受けた後も李朝時代の狭い道と古い町屋がそのまま残る。旅行客向けのシルク、漆工芸、蓮茶や焼き物などを売るみやげ物通りと庶民の市場やナイトマーケットの通りがある。
旧フランス租界地区
フランスによる都市計画による地区。日本軍の進出まで整備が進められた。整備された並木道
、公園や「インドシナ様式」の建築が多く残る。 |
医学研究所(パスツール研究所)
フランス租界の南に位置する。ベトナムの伝染病対策の
ための研究所 |
フランス建築にベトナムの伝統様式を取り込む。2階を主
階とし、高い天井と上下の換気窓で湿気対策を行なう
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ホアンキエム湖
ハノイ36通り地区と旧フランス租界地区を挟む位置にある湖。黎朝のレロイが湖に棲む大亀から宝剣を授かり、明軍を撃破したという伝説がある。湖の周りには遊歩道があり市民の憩いの場となっている。夜には大勢のカップルがバイクに乗ってひたすら走る。 |
玉山祠
ホアンキエム湖の中心にある神社。元を撃退した英雄
を祭る |
水上人形劇
1000年以上前から伝わる農村芸能。水中で操られる人
形劇 |
テト(ベトナム正月)前の街
正月飾りを売る店、生ビール屋の、のどかな雰囲気 |
テト(ベトナム正月)
飾りを売る店。
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ビアホイ
ハノイの街角に必ずある生ビール屋、昼休みや仕事明け
にビールを飲む |
変わり行く街
ドイモイ政策による改革・開放路線、AFTA(ASEAN自由貿易地域)参加やWTO(世界貿易機構)正式加盟により一層の経済発展が進んでいる。
外国人居住者も多く近代的なビルが建ち始めている。ベトナム名物のオートバイの洪水もいずれ自動車に変わっていくことだろう。そして激動の歴史に造られたハノイの街も大きく変わっていくことだろう。 |
今回参考にした文献
◎ベトナムの文化・民族芸能を紹介
『Uniquely Vietnamese』
James Edward Goodman著 The Gioi Publishers出版
◎建築の歴史を写真図面で紹介
『Traditional Vietnamese Architecture』
The Gioi Publishers出版
◎ベトナム全域の建築を体系的に調査
『ベトナム建築大博覧』SD9603 鹿島出版会出版
◎ハノイの建築を美しい写真で紹介
『建築のハノイ』大田省一著 白揚社出版
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