JIA Bulletin 2020年秋号/海外レポート
テムズ河の流れに乗って左眼右眼
―時間が育てた都市・ロンドンの今―
安部貞司

 本稿執筆中に、新型コロナウイルスが世界規模の感染拡大で猛威をふるっている。日常が一変し、社会の空気は変わってしまった、街から人影が消えて世界はマヒした。『Bulletin』秋号が発行の頃にどんな状況になっているか見通せない。徐々に街や生活が動き出してきたが、強権に頼らず日本人の良識を示せるか、緊張感の日々に日常が戻っていることを願うばかりです。
 イギリスが今年1月31日に欧州連合(EU)から離脱し、移行期間にコロナ危機が発生して欧州各国はEUの連帯と国家に苦慮している。その「グレート・ブリテン連合王国(United Kingdom)」に1ヵ月間ほど滞在し、民営化で複雑になった英国鉄道で一周して久しぶりにロンドンを探訪した。2012年のオリンピックを機に都市力を回復させたロンドンは、「世界の都市総合ランキング」でトップを走り続けている。近年の英国の都市再生・都市開発の取り組みや英国型CABEとPFIの最新動向を見てきた。

テムズ河の流れに乗って

 テムズ河をウォータールー・ピアからロンドン南東のグリニッジまで、水上バスに乗って新しいロンドンの景観を眺めた。パリは真ん中にセーヌ川が流れ、シテ島を中心に両岸に建築が建っている。ロンドンはテムズ河のほとりの沼地に小さな町として成立した。北側にシティとウエストミンスターがあり、そこから発展し、「シティ・オブ・ロンドン」として今も中心である。
 北岸は東へと発展を続け、テムズ河に面した旧港湾地区はウォーターフロント開発でニュータウンが誕生。セントラルロンドン地区は高層ビルの建設ラッシュだ。川向こうといわれた南岸は、新開地に演劇人がシェークスピア・グローブ座を再建。今は再開発が進んで古い煉瓦の倉庫群はお洒落な街に生まれ変わった。ミレニアムプロジェクトの「ミレニアム橋」で両岸がつながり、ウエストミンスター・ブリッジからタワーブリッジに至る遊歩道「ミレニアムマイル」が整備されて河岸を歩ける。そしてカプセル形「大観覧車」、テムズ河上空の「ロープウェイ」が新たな景観になった。


テムズ河北岸:多様なデザインの高層ビル群

テムズ河南岸:斬新なデザインの「シャード」

サッチャー政権後の都市戦略と都市再生

 パリのような都市計画に比べると、ロンドンは雑然とした印象を受ける。1665年のペスト(黒死病)の流行、翌年のロンドン大火では3日間で市内の大部分が被災し、パリと同様に災害と衛生状態改善で大きく都市改造を行った。その成果が、建築家ジョン・ナッシュが手掛けた「ロンドン大改造計画」。繁華街ピカデリーサーカスからリージェントパークに至る4分円弧のリージェントストリートと、半円形状の連続住宅(パーククレセント)は高級住宅の手法となった。その後、第二次世界大戦後に都市構造の転換を図る「大ロンドン計画」が構想された。
 マーガレット・サッチャー首相は、1981年に都市再生特区のEZ(エンタープライズゾーン)を導入した。産業の衰退が進み、英国病から脱するため、産業用地の跡地再生に民間資本を活用する都市政策で、土地に関するさまざまな規制緩和がなされた。92年にジョン・メイヤー首相はPFIを導入、97年にブレア首相がPFIからさらにPPP手法による民間の創意を生かす社会資本整備と、都市政策にデザイン(表層的でない)をキーワードに、CABEによる建築デザインの評価に取り組んだ。
 ロンドンは河川港でドックを多くつくり、時代と共に港湾機能を下流に移した。そのドックランズ地区を国家規模の港湾地区再生のためEZに指定。テムズ河から内部に入る水路沿いの荒廃した工業地帯は、スタジアム、選手村、パークに整備され、オリンピックを機に蘇った。「ストラトフォード」は、かつて鉄道の引き込み線や工場跡地。「セントキャサリンズドック」は、古い倉庫群の雰囲気を残して再生。大きく湾曲した半島と縦横に走っている運河「カナリー・ウォーフ」は、新都心として再開発された。ロンドンオリンピックは大会後の都市づくりを重視して都市計画に組み込み、東部の貧困地域の再開発はイーストロンドン再生の契機となった。


リージェントストリートと、パーククレセント

「Paddington Central」有名なリトルベニスに至る
リージェント運河の岸はナローボートがつながれている

「Coal Drops Yard」
リージェント運河と弧を描く産業革命時の煉瓦倉庫

映画「ノッテングヒルの恋人」の舞台、
チェルシー地区とポートベロー・マーケット

多様性と歴史の魅力が調和する建築文化

 18世紀後半の産業革命時に、物流を担う動脈として全土に運河が建設され、ロンドンも街中を縦横に運河が流れている。都市の文化として動態保存して、運河と一体となった水辺の魅力が息づく開発プロジェクトが進行している。「パディントンセントラル(Paddington Central)」は、パディントン駅の北側(裏側)のかつての鉄道ヤード(貨物港)、リトルベニスからの運河沿いは複合施設に開発された。パディントン駅近くには巨大施設も建設中で、アートなどの最新トレンドの発信地に変化している。「コール・ドロップス・ヤード(Coal Drops Yard)」は、キングスクロス駅とセント・バンクラス駅の間の石炭倉庫と貨物車ヤードの跡地。時代の移り変わりで倉庫は使われなくなり、開発で広場を囲みリージェント運河の水辺に弧を描くように煉瓦造りの建物が配置された新たな街が誕生した。
 シティはローマ時代からの世界最古の金融街で、セントポール大聖堂や世界最初の中央銀行のイングランド銀行、王立商品取引所など歴史的な建造物が街並みを構成する趣のあるエリア(スクエアマイル)。その地区に、多くの建築家が斬新なデザインの新しい建築物を設計している。ノーマン・フォスター設計の「スイス・リー本社ビル」「ロンドン市庁舎」「ミレニアムブリッジ」。リチャード・ロジャースは「ロイズ・オブ・ロンドン保険本社ビル」。レンゾ・ピアノによるヨーロッパで最高高さの尖塔型八面体の超高層ビル「ザ・シャード」。ヘルツォーク&ド・ムーロンは元発電所の建物を高さ99mの煙突がシンボリックな現代美術館「テートモダン」に再生した。東部のバービカン地区では、300m(80階)の木造超高層ビルの計画があり、再生可能資源の木造ビルの実現を目指している。
 歴史を受け継ぎ生かして使う建物再生・用途転用の都市開発、建築計画に市民によるデザインレビューが行われる。歴史的建築物と新しい建築の共存する多様性や重層性、複合性は変わりゆく街と受け継がれる歴史の魅力が調和するロンドンは「時間が育てた都市」といえる。
 RIBA(王立英国建築家協会)で「100周年のバウハウス展」が開催されていた。近代建築・デザイン界に大きな影響を与えた造形学校「バウハウス」はグロピウスが設立して14年間しか活動していないが(ナチスの圧政で閉鎖)、今もモダンデザインの源流としてロンドンでも再び注目されているという。

人本位型社会・サービス型社会を読む

 管理型社会・マニュアル社会で、全てが硬直して画一的ルール、一律に同じ条件であることを「平等」と考える日本に対して、英国は人本位型社会・サービス型社会といえる。自由な気風は、多様で弾力的で一つの考え方にとらわれない柔軟な「融通無碍」の社会的価値観にある。街づくりの発想も人優先社会や高齢化社会に対応し、尊厳への配慮、介助者を必要としないことを前提にした「福祉のない街づくり」といえる。歩行者優先の横断歩道のルール。バス・地下鉄の乗り換え、街路のサインなども訪れる人々の立場で誰でもわかりやすい。電車に愛犬も自転車も同乗できる。一般住宅にも生涯安全に住み続けられる評価基準があると聞いた。
 観光資源としてロンドンの都市戦略に位置付けられているマーケットは、中世から活発で、都市の起源であり結節点として発展した。「Streetマーケット」は多くが道路で開催されている、Streetは交通空間としての道路と自由に使える公共空間でもある。市内には、いたるところに公園や広場があるが、芝生立ち入り禁止などの警告看板、外国人へのマナー啓発看板も見ない。レストランはペットも同席でき、ハラルやベジタリアン、ビーガンのメニューも準備され、Leftoversは当たり前に持ち帰り、食品ロスや脱プラ社会に取り組んでいる。
 大英博物館や世界的な美術館・博物館は無料の施設が多く、文化が都市に必要不可欠という市民意識を共有している。多くの人がボランティアや慈善活動に参加して活躍している姿は印象的で貴重な社会資源となっている。物乞いの路上生活者に恵む人の姿もよく見かける。社会が連帯する精神が根底にあり、市民団体が活躍できる社会システムができている。出自や持ち味もさまざまな民族の共生社会を実現している。見えない社会デザインとしての都市デザイン、人間中心のまちづくりを再認識した。

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