JIA Bulletin 2023年春号/海外レポート
日常生活からみるアブダビという都市
横松宗彦
朝は6時に起床する。12月のアブダビはまだ暗い。やがて東の地平線から朝日が昇り、朝食を食べる頃には、街区の輪郭が次第に浮かび上がり、ビル群の彩度が増していく。地上250mのリビングルームからは、アブダビ市街の都市のつくられ方がよくわかる。
私の住む中心市街地は、1960年代後半からの都市計画をベースにしており、コーニッシュと呼ばれるアブダビ半島西端の海岸線に直行するグリッドで街区が分割されている。現在旧市街地の街区を構成する大半の建物は、80年代に建てられた最高20階建ての鉄筋コンクリート造のビルで、これらが街路のエレベーションを形成している。それぞれの街区にはモスクが1つずつ配置され、1日5回の礼拝時間に利用される。上から見ると、モスクはメッカの方角に振られており、街区グリッドとのずれによって生じた三角形の空間は、単に駐車場やアクセス動線として利用されるだけでなく、植栽することで都市内のアメニティに貢献し、コミュニティを助ける街区内のプラザ的な役割を持っているのは興味深い。
アブダビは年代によって都市計画の規制が更新されるため、市街地内の建物はその高さによって建設された年代が想定できる。20階から30階建ての建物は90年代になってからのもので、ファサードもそれまでのコンクリートのものから、アルミの外装材あるいはカーテンウォールが主流となる。2000年代からは、200m超の超高層も建てられ、旧市街地にも私の住む300mを超えるタワーを含め、ところどころに都市内のランドマークが形成されている。
現在のアブダビひいてはUAEは、人口構成の2割ほどにしか満たないエミラティと呼ばれる国民と、その他8割を占める外国籍を持つエクスパットで構成されている(エクスパットとは狭義には外国企業に所属するいわゆる駐在員を意味するが、ここでは広義に国外から来た外国籍を持つものを意味するものとする)。外国籍を持つ者のほとんどは、労働ビザを取得し、一定期間UAEに滞在し本国に帰還する。これは、1950年代の石油の発掘以来、その収益を国の基盤整備に投入するために、国外から知識、技術、労働力を招致していることに起因する。エクスパットは、工事現場やプラント、工場で働く出稼ぎ労働者から、サービス販売業に従事する者、技術系、教育系、金融系、医療系等、全ての労働の種類あるいは階層を支えている。そして、このエクスパットの住む都市内は職種による棲み分けが明確に認識できる。旧市街地の中高層のビルは、政府の支援を受けた国民の投資先として、高所得のエクスパットの居住を想定とした賃貸目的に建設されたというが、40年~50年経った現在は老朽化が進み、低中所得層の人々がフラットをシェアして暮らしている。通常1階と2階は各種店舗に充てられ、周辺住民の需要を満たし、昼夜を問わず活気を呈している。一方で、超高層のタワーには、外部から遮断された完結した生活が期待されている。共有空間のアメニティの充実が求められ、ジムやスイミングプールをデフォルトとして、シアター、テニスコート、子どものプレイグランド等も備える。住民はエレベーターで下階まで下りて、外に一歩も出ることなく直結したショッピングモールで買い物を済ませる。この利便性に対する価値は、夏の気温が摂氏40度を超える過酷な環境下で絶対的なものとして存在する。
アブダビは湿度に加えて、大気中の砂の量が視界を変える。旧市街地は四方を海と島に囲まれ、空気が澄んでいる日は、アブダビ島の遥か向こうのアブダビ国際空港の近くまで視界が及ぶ。私が16年前に現職で初めて担当した中東のプロジェクトは、空港の西側に位置するアルラハ地区の中心部に人工の湾を形成し、そこに半島状に突き出る金融センターを建てるものだったが、造成工事の段階で、2008年の金融危機のあおりを受け頓挫してしまった。現在も設計した建物の有機的な形状が半島の輪郭として残っているが、敷地は分割され数棟の建物が計画されているようである。
朝食と身支度を終え、地下4階の駐車場まで降りる。朝のこの時間は秒速8mの高速エレベーターの恩恵を受けることはできない。地上につくまでの間、ドアは何度も開き、出勤する会社員、異なるエンブレムを付けた制服を着た子どもたちが乗ってくる。レジデンスのエントランスにはそれぞれの学校のスクールバスが待機している。私は車で娘を送り、そのまま勤務地に向かうことにしている。
地上に出たあと車は旧市街のビルの間を走る。片側3車線の道路は通勤の車で込み合いひっきりなしに車線変更が行われる。市内では、唯一の公共交通であるバスが利用可能であるが、利用する層は限られている。その理由として、私を含めてエクスパットは日常的に、都市内に広く分散された目的地の間を移動しながら生活しており、厳しい暑さのなか自家用車の利便性に頼らざるを得ない点がある。加えてエミラティのプライバシーを重んじる文化的背景から、鉄道を含めたその他の公共交通の開発の優先度は低いという。
旧市街を抜けアブダビ島とアルマリヤ島を繋ぐ橋に差し掛かると、その先に巨大なガラス張りの建物が見えてくる。これはアメリカ系の大病院で、最新医療設備と高級ホテルのような内部空間を備え、政府のメディカルツーリズムの一翼を担っている。箱をずらしながら積み重ねたシンプルで大胆なボリュームの構成は、緑色のガラスのダブルスキンで覆われ、内海に面して反対側の市街地に、先端医療の存在感を強くアピールしている。道路を挟んで病院の向かいには、ホテル、オフィスおよびショッピングモールで構成された複合エリアがあり、フリーゾーンとして、海外資本のビジネスを積極的に誘致している。
娘の通う英国系のインターナショナルスクールは、アルマリヤ島をさらに超えた、アルリーム島の中心部に位置している。この学校は、幼稚園から高等学校まで、生徒数2,000名を超えるキャパシティをもち、現在通っている生徒の国籍数は100近くに及ぶ。学校は、中世から続く本国英国のボーディングスクールの名を冠し、提携校として本国からのコンサルティングを受けつつも、資本は完全に分離されている。現在アブダビには、200近くのインターナショナルスクールがあり、エクスパットとエミラティの子どもたちが混ざって教育を受けている。
娘を教室まで送り届けた後は、勤務地であるサディヤット島に向かう。サディヤット島は政府によって、文化観光の拠点地域として開発が進められており、有名建築家による大規模博物館、美術館が徒歩圏内に位置している。2017年にオープンし、円形の巨大キャノピーで建築界で話題となったジャン・ヌーヴェル設計のルーブル美術館をはじめ、2025年竣工予定のメカノー設計の自然史博物館、デイビッド・アジャイのAbrahamic Family Houseは同じ道路を挟んで建つことになる。その道路の突き当たりには建設中のフランク・ゲーリーのグッゲンハイム美術館の敷地が海に張り出している。
弊社フォスター・アンド・パートナーズが設計監理する国立博物館Zayed National Museumは島の中心に位置する。博物館はUAE建国の父であるSheikh Zayedの名を冠し、UAEの歴史の変遷とSheikh Zayedの人生と遺産をテーマとしている。私は5年前に本社から派遣され、現在リードアーキテクトとして現場の建築チームを任されている。プロジェクトは2007年のコンペで受注し、私はチームのメンバーとして初期段階から設計に取り組んできた。以降プロジェクトは止まったり動いたりを繰り返しながら、2018年にようやく工事が本格的に再開した。現在、スチールでできた地上120mのソーラーチムニーである5棟の「ウィング」が組み上がり、ようやく建物のシルエットが見え始めている。
アブダビの都市化の歴史は50年と非常に浅いが、1950年代の石油の発掘を契機として、その収益を戦略的に投資し、国外から専門的な知識・技術を吸収し、労働力を呼び込み、柔軟に海外の事例を参考にしながら都市環境を整え、石油依存経済を克服すべく急速に成長してきた背景がある。今回は、私の日常生活のルーティンから垣間見えるその断面を、私なりの視点から紹介させていただいた。
横松宗彦(よこまつ むねひこ)プロフィール
1998年 立命館大学理工学部土木工学科卒業。2000年 立命館大学理工学研究科環境社会工学修了。2006年 英国 ロンドン大学バートレット校修了 建築修士(UCL Bartlett School of Architecture)。2007年から現在 フォスター・アンド・パートナーズ (Foster+Partners)。一級建築士