JIA Bulletin 2025年冬号/海外レポート
家族を連れて海外に移住するということ
-ノルウェーでの暮らし-
中 太郎
転職しノルウェーのオスロに移住してもうすぐ2年が経つ。恐れ多くも建築家向けの海外レポートなる記事の執筆を引き受けてしまったものの、正直に言って何を書いてよいのか分からない。これまでの2年間は日々の生活に手一杯で、ノルウェーの建築について人に語れるほどまだよく知らない。仕事についても日本との違いを感じつつも、それを言葉にするにはもう少し時間がかかる気がしている。私は建築家ではなく構造家なので、『Bulletin』読者の方が期待されるような話はそもそも書けない気もする。
そこで勝手ながら、建築というテーマに縛られず、ただただノルウェーでの日々の生活のことを書きたいと思う。建築を志す人の中には海外留学や海外就職を目指す方も多くおられると思うし、私も例に漏れず期待と不安に胸を膨らませながら日本を発った。しかし、30歳を過ぎて家族を連れての海外移住は、良くも悪くも想像したものとは違った。そんな私自身の泥臭い体験から、海外での暮らしを感じていただけたら幸いである。
こどものはなし
私たちがオスロに移住したのは2023年の1月である。私も妻も東京出身で留学の経験はなく、まして当時は4歳と0歳の子ども二人を連れての移住であった。引っ越しの大変さは言うまでもないので書かないが、小さい子どもがいると生活はどうしても子ども中心になる。
引っ越した当初からよく家族で街を散策したが、北欧の雪道は二人乗りの巨大なベビーカーを押して歩くには向かず、日が短くてすぐ暗くなるため散策の時間も限られる。子どもにとっては建築なんか見ても何も面白くないので、雪遊びをするために近所の公園にばかり行きたがる。街中の公園で無料でソリやスキーやスケートができるのは東京出身者には新鮮で楽しいが、たまの週末に同じ公園にばかり行っていては行動範囲が広がらないし、雪遊びは疲れる。学生の時はバックパッカーをして、1日に何キロも歩いてたくさん建築を見て回ったことを思うと、建築好きにはもどかしい日々である。
そのうち子どもたちが保育園に通い始めたことで、ノルウェーの文化が急速に我が家に流れ込んできた。アウトドアが盛んな国柄のためか知らないが、子どもたちは夏でも冬でも毎日元気に外で遊ばされる。緯度が高いせいか夏は日差しがとても強く、長男は熱中症で倒れた。一方、冬は気温-15℃でも平気で外で遊び、遠足で森に出かけてヘラジカの足を拾ったりした。小さい子はベビーカーに装着された寝袋に入れられ、ベビーカーごと屋外に放置されて昼寝する。たまに次男のクラスの先生から「今日は寒かったから室内でお昼寝したよ」なんて言われるが、昨日だって-10℃は下回っていただろう。
ノルウェーの現地保育園なので、当然ながら言語はノルウェー語である。子どもの言語習得は早いというが、ある日突然未知の言語環境に放り込まれたうちの子はそれなりに苦労した。5歳になった長男はすでに日本語が達者であり、ノルウェー語が話せないのがつらくて保育園に行きたくないと毎日泣いていた時期は、親として心を痛めたものである。が、通い始めて1年も経つと「もう日本語もノルウェー語も同じくらい喋れるよ」なんて言い出して、私のノルウェー語の発音にダメ出しをするようになった。つまるところ、北欧の冬は日が短いので、大人も子どもも気持ちが沈みがちなのだ。ビタミンDを摂取しなければ。
ことばのはなし
ことばを学ぶことは文化を学ぶことだ。外国に移住したからには現地語の習得はとても重要だと思う。職場の公用語は英語だが、ノルウェー語の習得も強く奨励されており、個人的にもノルウェー語の勉強をがんばっている。
北欧の人々は流暢な英語を話せる人が多く、ノルウェー語が話せなくても大抵のことは英語で解決できるのだが、社外との打ち合わせはノルウェー語で行われることも多い。私以外全員ノルウェー語が話せるような場で私だけのために英語を使ってもらうのは申し訳ないので、黙って議論に耳を傾けるが、分からない時は本当に何も分からない。プロジェクトの担当者としては大変不安である。不安なので一生懸命理解しようとするが、やっと単語は聞き取れても文として把握できないことが多くもどかしい。そして打ち合わせが終わると、日本語での打ち合わせの何倍も疲れている。それでも何とかやっていけているのは、国が違ってもやっていることはそう変わらないということなのだろう。特に構造の原理はどこにいたって変わらないので、ユーロコードは大抵読めば理解はできる。
ノルウェーで暮らす外国人の割合は日本に比べるととても多く、特に同じスカンジナビアのスウェーデン人とデンマーク人はよく見かける。これらの国の言語は文法的にはとても近いが発音がかなり違うので、最近はノルウェー語の打ち合わせ中にスウェーデン人とデンマーク人を聞き分けられるようになってきた。ただ何を言っているかはやはり分からない。先に書いた保育園にもさまざまなバックグラウンドを持つ子どもが在籍しており、長男は友だちと母国の言葉を教え合っていたようだ。本人曰く、日本語、ノルウェー語、ドイツ語、英語、中国語、イタリア語、アラビア語が分かるらしい。
保育園や学校は親にとっても言語の学習に最適の環境と言えるだろう。仕事の打ち合わせ中にはなかなか気軽に発言できないので、私がノルウェー語を使うのはもっぱら、子どもの送り迎え時に会う先生や他の保護者との雑談である。長男がこの8月から小学校に上がったため、先日は学校の保護者会に出席してノルウェー語の話し合いに2時間参加してきた。調子が良かったので7割くらい分かった(気がする)。
しごとのはなし
そろそろ仕事の話もしないといけないだろう。設計者の働き方の面で日本と大きく違うと思うのは、業務報酬が固定でないということだ。日本では建物の面積等に応じて業務報酬が契約時に確定されることがほとんどだと思うが、こちらでは労働単価と見込み業務料が契約書に記載され、日々の労働時間をプロジェクトごとに記録・集計してクライアントに送付することで、実際にかかった労働に対して報酬が支払われる。そのため、残業が多いと社内からも社外からも厳しく注意されるし、計画の変更や追加業務には皆慎重になっているように感じる。
また、家族を大切にする意識がとても尊重され、保育園のお迎えがあるからと言って同僚が15時に帰っても誰も文句は言わないし、育休を取る男性も多く見かける。
現在担当しているプロジェクトは何かと聞かれたら、「バイキング船を動かす仕事」と答えている。ノルウェーにはバイキングの歴史があり、オスロにも1000年以上前につくられた木造のバイキング船を展示する博物館がある。そのオスロのバイキング船博物館は現在拡張工事のため休館中であり、私もこのプロジェクトに関わっている。建物の構造設計ではなく、バイキング船の保存担当としてである。バイキング船は既存棟から隣に新築される新棟に移設されることになっており、その運搬中および移設後の安全性の検討を担っているのだ。建物の構造設計とは勝手がかなり違うが、1000年前の文化財を扱うということで、エンジニアとしては大変やりがいのある仕事である。
この原稿でどれだけ伝わったかは分からないが、私も家族もノルウェーでの生活を大変気に入っている。私のことを知る人からは、日本ではあれだけ仕事に没頭していた人間が家族のことばかり書いてどうしたことかと思われるかもしれないが、たしかにノルウェーに来て自分の生活態度は変わったと感じる。単身だったら感じなかったであろう苦労や不満もたくさんあるが、家族のおかげでノルウェーの社会とより深く繋がることができ、それがここで暮らすモチベーションとなっているのだ。
中 太郎(なか たろう) プロフィール
Dipl.-Ing. Florian Kosche AS
2015 東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了
2015-2018 山田憲明構造設計事務所
2018- 中構造設計主宰
2022 東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了
2023- Dipl.-Ing. Florian Kosche AS