「その場所で体感したことをイラストにして伝える」
今回登場いただくのは、建築学科出身のイラストレーターなかだえりさん。東京・足立区千住のアトリエを拠点に、本や新聞、雑誌などのイラストや執筆活動など多方面で活躍されています。古いものが好きだというなかださん、蔵など古い建物を自身でリノベーションしてアトリエとして使用していたことでも知られています。小さな路地に建つ、元スナックをリノベーションしたアトリエでお話をうかがいました。
―建築学科ご出身ですが、イラストレーターになったきっかけを教えていただけますか。
大学生の時は建築家を目指していて、よく現代建築巡りをしていました。その時にまち並みや古いものに興味を持つようになり、日本大学を卒業後、大学院から都市史が専門の法政大学の陣内秀信先生の研究室に入りました。
陣内研究室ではタイのバンコクの調査に参加しました。その時にまち並みをスケッチしていたら、先生がそれを目に留めてくださって。先生はちょうどイタリアの街をテーマに一般向けのエッセイ本を書き下ろしているところで、さし絵を描く人を探していました。その本のさし絵を在学中に描いて、表紙にも採用され、それが初めての仕事になりました。
―では大学卒業後すぐにイラストレーターになったのですね。
2000年の3月に大学を卒業し、4月にその本が出版されました。当時わたしは千住の蔵をリノベーションして住んでいたのですが、建物をまちに開いて活用したいと思っていた時期だったので、本が出版されたのを機に蔵でイラストの原画展を開きました。その原画展が好評で、若い女の子が蔵をリノベーションしてアトリエにしていることも珍しがられ、取材などがたくさんあり、次第にイラストの仕事が増えていきました。
それでも最初はイラストレーターとしてやっていけるかわかりませんし、まだ建築への未練もありました。作品も大きく、人の生活にも大きく関わる建築と、もう少しささやかですが日常生活に潤いを与えるイラストでは差があるので、ふたつを両立させたいと思っていましたが、結局一度も就職せずにイラストの仕事をしています。
|
|
―小さい頃から絵を描くのがお好きでしたか。
はい、昔からよく絵を描いていました。その頃も今も描くのは早いですし、描いていて悩むこともあまりありません。空想のものを描くのではなく、現実のものを描いているからかもしれませんね。
わたしは自分のことをアーティストだとは思っていませんし、建築出身だからか自分本意に何かを発信するという視点がありません。建築には必ずクライアントがいるように、イラストだったら出版社の方やその先の読者のニーズを考えて描いています。わたしはそれに応えることが好きですし、要望に応えて結果を出していきたいと思っています。
―どうして千住を活動の拠点に選んだのですか。
わたしは岩手県一関市出身で、隣の家とはだいぶ距離が離れている環境で育ちました。ですから、密集している東京におもしろさを感じました。大学院時代、自分の研究対象地は東京で、千住はいろいろなまちを見るなかのひとつでした。千住の蔵を調査している時に、築約190年(当時)の蔵が空き家になることがわかったので、はじめはその蔵ありきで大学院在学中の1999年に千住に引っ越し、リノベーションをして住み始めました。イラストレーターになってからはその蔵をアトリエにしていました。
当時はリノベーションというものがほとんど知られておらず、地域の方には変わったことをしているなと思われていたでしょう。それがこの18年くらいの間で世の中の流れも変わり、古いものをリノベーションしたりして活用する機運がだんだん上がってきていると思います。スクラップ&ビルドのような大きなことをする時代ではなくなってきたし、以前からそれはおかしいと思っていました。今は持続性のある街や建物などが増えてきたので、好みの建物が多くなってきました。
残念ながらアトリエにしていた蔵は2013年に家主の代替わりで立ち退きにあい、取り壊されてしまいました。今アトリエにしているこの場所は、築約50年の木造モルタルの元スナックで、カウンターなどを残しながらリノベーションして使っています。
―岩手県ご出身ですが、東日本大震災は何かご自身に影響を与えましたか。
わたしの実家は内陸だったので直接被害はなかったのですが、やはり身近な場所で起こったことですし影響はありました。皆さんと同じように、自分も何か作業を手伝えればと思ったのですが、邪魔になるのもいけないし、自分にできることは何かと考えました。
そしてわたしはイラストレーターなので、津波のことを伝えることができたらと思い、陸前高田の一本松を擬人化した『奇跡の一本松――大津波をのりこえて』という絵本を描きました。擬人化していますが、基本的には取材に基づいたノンフィクションです。陸前高田は岩手県沿岸部の中でも遠浅で穏やかで、小さい時によく家族で出掛けた場所です。自分自身思い入れもありますし、津波のことを伝えていかなくてはいけないと思い、時々読み聞かせもしています。
しかし、震災から6年経ち、復興は進む一方で記憶は風化してしまっているのを感じます。人間が忘れていくのは簡単ですね。この本の話もそうなのですが、大昔から何度も津波が来ていて、そのたびに高台に住めと言われてきたのに、やはり便利な平で低い場所に住んでしまう。今回の大震災で津波には抗えないことに気づかされたはずです。防波堤などをつくって自然に抗うのではなく、共存するために場所を考えて暮らす方がいいと思っています。絵本は被災された方には辛い内容かもしれませんが、全国の人に防災の意識をもってもらいたいと思って描きました。
―よくまち歩きをされているそうですね。
大学時代の延長で今もまち歩きはよくします。実は大学院の時の研究テーマが遊廓でした。当時は四谷荒木町という昔花柳界だった場所の近くに住んでいて、そこを歩いてみたらなぜかゾワッとしました。教会や寺社など名のある建築ではなく、それが遊廓や花柳界など学問になっていないものでも何かを感じて、心揺さぶられました。それがきっかけで遊廓の研究を始めました。
遊廓巡りは今でもしていますし、趣味として建築を見るのは好きです。博物館や美術館へ行くよりも、人の生活が息づいているまちや場面に魅力を感じます。
|
―最後に、改めてイラストの魅力を教えてください。
わたしにとって、イラストは伝えたいことを伝えるツール、自分が感動したいいものを伝えるツールです。みんなその日あった楽しかったことを家族や友人に話しますよね。その表現と同じだと思っています。
写真も同じツールのひとつなのかもしれませんが、写真は写ってほしくないものが写り込んだりすることがありますよね。その点、イラストは自分の伝えたいことを強調して描くことができます。それから、水彩画教室をやっていて、生徒さんとスケッチに行ったりもしますが、今まで通り過ぎていたまち並みも、絵を描こうとすることでおもしろいものがたくさん見えてきて、まちが深く見えてきます。それもイラストの魅力だと思っています。
でもまずはとにかく感じることですね。現地の人と話したり、食べることも含めて、絵を描くことだけに固執はしていません。わたしは何事も体感することが大事だと思っているので、これからもいろいろなまちを歩き、場所場所の空気を感じ取っていきたいと思っています。
―貴重なお話をいただき、ありがとうございました。
インタビュー: 2017年10月18日 アトリエ「奈可多"楼」
聞き手:中山 薫・有泉絵美(『Bulletin』編集WG)
■なかだ えり氏プロフィール
イラストレーター
1974年、岩手県一関市生まれ
1997年、日本大学生産工学部建築工学科卒業
2000年、法政大学大学院建築学科修士課程修了
東京・千住のスナックをリノベーションしたアトリエを拠点に、イラストやエッセイなど執筆。著書に『駅弁女子 日本全国旅して食べて』(淡交社)、『大人女子よくばり週末旅手帖』(エクスナレッジ)、『奇跡の一本松 大津波をのりこえて』(汐文社)は教科書にも採用。水彩画教室開催。http://www.nakadaeri.com