JIA Bulletin 2018年秋号/覗いてみました他人の流儀
池田昌弘氏に聞く
「構造家とはじめから一緒に考えると
 建築はもっと自然になる」
池田昌弘氏

今回お話をうかがうのは、構造家の池田昌弘さん。国内のみならず、海外でのプロジェクトも多数手掛けており、建築家と連名で発表された作品も数多くあります。構造設計を担当された作品は、大きな建物だけでなく、意識的に小さな住宅もたくさん手掛けておられるそうです。どのようなことを意識して設計されているのか、普段から大切に考えていることをお話しいただきました。

―どの時点から構造家を目指しましたか。

 子どもの頃から絵を描くのが好きで、将来は建築家になりたいと思っていました。名古屋大学の建築学科に入り、最初の3年間くらいは製図室に入り浸っていて、構造に進むことを意識していませんでしたが、自分で建物をつくるなら、例えばシェルだったら厚みを自分で決められる人になりたいなと思っていました。しかし意匠設計者でそこまで自分で決めている人はいなかったので、自分で決めてみたいと思い、曲面構造を研究している松岡先生の研究室に入りました。研究室で先生に「どんな形のものも自分でつくれるようになりたい」と伝えたら、三次元シェル理論の外国の文献を渡され、英語を読みながら数式を延々と解くという学生生活を送りました。
 大学院修了後、松岡先生と、松岡研究室の先輩の佐々木睦朗さんに推薦していただき、木村俊彦構造設計事務所に入りました。

―これまでにどんなプロジェクトに関わってこられたのでしょうか。

 最初に担当したのは超高層の「梅田スカイビル」でした。当時はまだGUIがしっかり確立されていない時代だったので、自分でコンピューター言語で直接入力して解析をしていました。そのあと佐々木さんの事務所で、齋藤裕さんや難波和彦さんとの戸建住宅や、伊東豊雄さん、妹島和世さん、西沢立衛さんとの公共建築など、たくさん経験させてもらいました。独立後も佐々木さんとの仕事を継続していて、「せんだいメディアテーク」などの構造設計を一緒にやらせてもらいました。その後も、海外のプロジェクトなどに携わる一方で、遠藤政樹さん、手塚貴晴さん・由比さんなどとも協働してきました。
 最近は、大変尊敬している構造家の播繁さんとのプロジェクトに関わる機会があり、無印良品の家などで広く使われているSE構法を用いた木造の戸建住宅を設計・供給している会社(エヌ・シー・エヌ)に、新世代のSE構法へのコンサルタントとして参加させてもらっています。昨年、播さんは他界されてしまいましたが、プロジェクトは今も現在進行形で、藤原徹平さんなどと一緒に設計を行っています。それだけではなく、世の中に普通にある建物の中にも、大切なことがあると思い、そういう社会性のあるものにできるだけ携わるようにしています。


画像1 「せんだいメディアテーク」チューブの接合部 黒がプレート、白がチューブ

―構造はどうやって決めているのですか。

 構造設計者、とくに構造家と呼ばれる人たちが日本でもっと育ってほしいという思いがありました。そのためには、まず設計のプロセスを変えることが大事だと思いました。積極的に設計初期段階から関わる。それだけのことで、同じ人が関わっても随分違う結果になるのではないか。それを僕自身が実践し、作品を発表する時は連名にしてみようと思いました。
 多くの建築家は意匠がある程度決まったところで構造設計を依頼していると思いますが、僕はもう少し前の段階で参加するようにお願いしています。ですから、建築家からヒアリングをするというよりも、プロジェクトの中で自然に決まっていく感じです。今までつくってきた建物でも、全部1から10まで僕ひとりでつくったものはなく、すべて建築家や施主とのコラボレーションの中からいつの間にか生まれてきているような気がします。
 その時、僕は構造だけを考えようと思って打ち合わせに参加しているわけではないんです。それよりも、このプロジェクトは本当は何がテーマなのか、何を大事にしようとしているのか、それによってどういうことを起こそうとしているのかなどを構造という切り口で関わっています。
 設計に関わるメンバー全員が、それぞれの切り口でプロジェクトを考えられる状況を大切にしています。
 僕は特許のような新しい構造形式を作り上げることよりも、既成概念にとらわれないで、自由に発想して構造と建築を融合させていくことのほうが素敵なことのような気がします。例えばコンクリートひとつをとってみても、柱・梁なのか、壁・スラブなのか、というような形式にはとらわれないで原点に戻ることで、すべて鉄筋とコンクリートでできているだけだと思えることのほうが、本質的な気がします。


画像2 「二階堂の家」外観 前にぶら下がっているのは階段室

―構造家の皆さんは、意匠設計者よりも空間を立体的に捉えることが早くできるように思います。

 というより、三次元的な感覚を身につけるにはやはり習慣が必要なのではないでしょうか。僕自身、平面や立面で考えるのではなく、立体の空間の中を歩くように図面を見るように習慣づけてきました。
 現在はコンピューターで構造計算をすることが構造設計だと思っている人も多いでしょうが、図面を見ながら空間を捉える習慣を忘れてはいけないのではないでしょうか。僕は、最初に解析プログラム自体を自分で作成するところから始めることができたので、今はさまざまな構造解析ソフトの中で行われていることを、手計算の数式やプログラムの中身を理解しながら設計をすることができるようになりました。

―意匠設計をしてみようと思ったことはないのでしょうか。

 これまでにも意匠設計を依頼されることもありましたが、その場合は、建築家を紹介してコラボレーションするようにしています。そのほうが設計の可能性が広がりますし、ひとりで全部やるというより、それぞれの知識や才能を持っている人たちと一緒に進めていくほうがいいものができると思っています。その時に大切なことは、繰り返しになりますが、施主、建築家、構造家、設備設計者、施工者などがバラバラに考えるのではなく、うまくオーバーラップしながらひとつのものをつくっていくことだと思っています。そして、その時にどんな自分であれば、そのプロジェクトの中で貢献できるのか。そんなことを試行錯誤しながら毎日頑張っています。


画像3 「二階堂の家」の模型 色の濃い部分はSE構法、その他の部分は在来工法

―海外でも仕事をされているようですが。

 いろいろな国がありますから、一概に日本とその他の国という見方はできないのですが、一般的には日本では建築家と構造家が一緒に設計をしていくというスタンスですよね。ところが、海外ではクライアントが建築家、構造家それぞれと別々に契約しています。つまり、構造家は建築家のデザインに対しての、クライアントのコンサルタントになるというスタンスなのでしょうか。
 僕が日本の建築家と海外で仕事をする時は、その建築家と一緒にクライアントの元に打ち合わせに行くのですが、向こうからしてみると、なぜ建築家を構造家がサポートしているのだろうと思っているのかもしれません。
 国ごとにレギュレーションも違えば、手に入りやすい材料も全然違うので、僕は海外で仕事をする場合、必ず、その国のトップの構造家に協働をお願いするようにしています。
 日本の建築家が海外で仕事をする時、現地で実施設計から現場監理まで通してすることができず、実施設計以降は現地の人たちに頼んでしまっているケースもあります。そのプロセスに最後まで一貫して携わることができるようにするだけで、海外に建てる建物を日本で建てるように繊細につくれるのではないかと思っています。

―これまで難しかったプロジェクトなどはありますか。

 エンジニアリングが難しいというよりも、社会状況など全部含めて、チームのメンバー全員の意図がどうやったら自然にひとつにまとまるのだろうかと考えることのほうが、僕にとっては難しいですし、楽しいですね。
 木村俊彦先生の事務所に入る時に先生に、「この種はどんな花が咲くのかわからないけれど、どんな花を咲かせるのかは池田くん次第だから、どんなものでも大事に育てていくことが大事なんだよ」とか、「富士山は遠くから見るときれいだけれど、近くに行くとゴミがあったり、岩がゴロゴロしていて決して美しいだけのものではないんだよ」とか言われたことを思い出します。その言葉があるから、これまでいくつもの難関にもポジティブに向かっていくことができているんだなと、改めて初心に帰る気持ちです。

―日本は地震が多く、台風などの災害もあって法規が厳しいです。もしそれがなかったとしたら、日本の建物は変わると思いますか。

 少し前に、茨城で開催された「茨城県北芸術祭」で、ロシアのイリヤ&エミリア・カバコフさんという芸術家の作品を設計しました。それは、砂浜に11メートル角の絵を突き刺したもので、2ヵ月間展示しました。この期間中に本当に地震も台風も津波も来たのですが、壊れることなく大丈夫でした(笑)。この時には法規というものはありません。つまり、本当にやらはくてはいけないのは、法規に関係なく、自然現象に対して大丈夫だと言い切れる建物や構築物をつくることなのかなと思います。


画像4 イリヤ&エミリア・カバコフによる「落ちてきた空」

―今とくに注力していることを教えていただけますか。

 木村俊彦先生や佐々木睦朗さんの下で学んだことを、下の世代に伝えていくことにも責任を感じています。実際、アトリエの構造設計事務所の門を叩く人はすごく限られているので、その人たちに伝えるだけでは十分ではないのかもしれないと考えました。また、もうひとつは、海外にはAAスクールなどいろいろなプライベートスクールがありますが、構造のスクールはありません。そういうものがそれこそ日本にあってもいいなと漠然と思っていました。そこで、2009年にMasahiro Ikeda School of Architecture(MISA)を設立しています。
 そして今、大学の先生と一緒に研究を始めています。その研究を元に、建築をつくることをマクロに見て、いろいろなばらつきや信頼性を読み込めるような解析手法を考えていこうと思っています。そのことで、設計プロセスやできあがるものに変化が起こっていくことが楽しみです。


画像5 「せんだいメディアテーク」の屋上で、学生たちと交流

―最後に、建築家にメッセージをいただけますか。

 建築家にとって構造はなんとなくブラックボックスになってしまっていますが、あまり固定観念に縛られずにいろいろな可能性があると思ってもらえればと思います。そして、できるだけ初期段階から構造家が設計に参加できる機会を増やしてもらえればと思います。

―貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

 

写真提供:Masahiro Ikeda

インタビュー: 2018年8月9日 JIA館5階応接室
聞き手:中山 薫・有泉絵美(『Bulletin』編集WG)

■池田 昌弘(いけだ まさひろ)プロフィール

構造家 MASAHIRO IKEDA co., ltd

1964年静岡県生まれ。1989年名古屋大学大学院修士課程修了。
1989〜1994年 木村俊彦構造設計事務所など勤務。1994年 池田昌弘建築研究所/mias設立。2004年 MASAHIRO IKEDA co., ltd設立。2009年 Masahiro Ikeda School of Architecture(MISA)共同設立。2017年 Natural Sense共同設立。
2000年「ナチュラルシェルター」(遠藤政樹氏と共同)で第16回吉岡賞受賞。2001年「有田陶芸倶楽部」で松井源吾賞受賞。2002年「屋根の家」(手塚建築研究所)でJIA新人賞、第18回吉岡賞受賞ほか受賞多数。

他人の流儀 一覧へ