JIA Bulletin 2021年春号/覗いてみました他人の流儀
鶴巻和哉氏に聞く
好きなアニメーションを
つくり続ける
鶴巻和哉

今回お話をうかがったのは、アニメーション監督の鶴巻和哉さん。アニメーターとして数多くの作品に携わり、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』以降は、監督、演出家としても活躍しておられます。シリーズ完結編とされる映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開を控えた鶴巻さんに、子供時代のことからアニメーターの仕事のことまで、お話しいただきました。

―アニメーターを志したきっかけを教えてください。

 子どもの頃から漫画やアニメが好きで、いつも絵を描いていました。小学生の頃よく描いていたのは世界一周するための架空の船の内部図面で、ボイラー室や船長室、船員の寝室、食糧貯蔵庫などを想像しながら描いていました。「ウルトラセブン」で滝から戦闘機が飛び出てくるシーンを見て、その滝の奥には滑走路と格納庫があり秘密基地に繋がっていることを想像して山の断面図を描いたり、そんな絵ばかり描いていました。
 僕は新潟の田舎出身で、小学生の時は1学年16人、中学でも40人程度しかおらず、アニメのマニアックな部分を共有できる友だちがいなかったのですが、高校生になって初めて自分よりも知識のあるオタク友だちに出会って、よりのめり込んでいきました。ぼんやりと絵を描く仕事に就けたらいいなくらいに思っていましたが、アニメーター(アニメの作画を担当する職種)なら、完全歩合制なので1円も稼げないということはなさそうと、親に黙ったまま、東京の専門学校の資料を取り寄せ、さらに新聞奨学生に応募する手配も済ませていました。
 今考えると、よく誰にも相談しないままこんな大胆な決断ができたものだと思います。親は絵の仕事なんてすぐに食えなくなって帰ってくると思っていたのでしょう。数年遊んできなさい、くらいの感じで特別反対もされずにあっさり認めてくれました。

―専門学校卒業後、最初にどこの門を叩いたのですか。

 最初はスタジオジャイアンツという、練馬にあるアニメーションスタジオに入りました。毎週放送されるテレビアニメは、半分は元請けの制作会社がつくり、残りの半分は下請けのスタジオ数社が分担して制作するというように、ローテーションでつくることが多いです。スタジオジャイアンツはその下請けのスタジオで、「ゲゲゲの鬼太郎」や「めぞん一刻」などを担当しました。
 朝の10時くらいに出社して、夜中の12時くらいまで、食事の時間以外はずっと机で絵を描いていました。

―作品ごとに画風が違いますが、アニメーターはそれに合わせてタッチを変えて描くのですか。

 どの作品も、原作の漫画とアニメーションでは絵がだいぶ違います。漫画家個人が全部描くのと違って、アニメの絵は数十人のアニメーターが手分けをして描くので、万人が描きやすいものにデザインし直されているんです。ただし、そうはいってもそれぞれ手癖があるので、うまい人もいれば、あまりうまくない人もいるし、うまいけれどすごく癖が強い絵を描く人もいます。だから詳しい人が見ると、今週と先週の絵が違うことがわかったり、CMの前後で絵が変わったことがわかったりします。
 スタジオジャイアンツには4、5年いて、その後、先輩に声をかけてもらい、僕が学生時代から好きだったガイナックスという、のちに『新世紀エヴァンゲリオン』を制作する会社で仕事をすることになりました。
 アニメーターはスタジオに所属していても基本的にはフリーランスなんです。なので作品ごとに人が入れ替わることも多いのですが、僕はガイナックスにいた庵野秀明(監督)をはじめ、そこで働くうまいスタッフから学びたかったので、参加したアニメの制作が終わった後も、ガイナックスに残りました。


鶴巻さんが描いた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の絵コンテ ©カラー

―『エヴァンゲリオン』シリーズは庵野さんのオリジナル作品ですが、制作が始まった頃のことを教えてください。

 『新世紀エヴァンゲリオン』は、漫画よりも先にアニメとして始まった企画で、1995~96年にテレビシリーズが放送されました。僕はそれまでは単に、いちアニメーターでしたが、『エヴァンゲリオン』シリーズではアニメーターとしてだけでなく、演出や監督としても参加するようになりました。
 アニメーションは監督が全体を見て、その次に監督が要求したことを、絵コンテという演出の設計図のようなものを描く部署があり、さらにその次に絵コンテをもとにアニメーターに細かく指示をする現場監督がいます。この全てを監督がこなす場合もあれば、分業する場合もあります。
 『エヴァンゲリオン』シリーズでは、僕はこの現場監督に当たる役割をしていて、一部絵コンテでも参加しています。当時のガイナックスは、ちょうど「ウルトラマン」や「仮面ライダー」、「マジンガーZ」、「宇宙戦艦ヤマト」、「ガンダム」あたりをリアルタイムで体験している世代が集まっていて、好きな世界観やデザインに共通認識があるので、みんなでわいわいと楽しくつくることができました。

―『新世紀エヴァンゲリオン』は当時社会現象にまでなりましたが、なぜそこまでヒットしたのだと思いますか。

 正直にいうとよくわからないままです。少なくとも自分たちが絶対に面白いものをつくっているという謎の自信はありましたが、それがこれほど広く受け入れてもらえたのは幸運だったのだと思っています。
 ただし、制作当時の社会の空気や感覚を表現しようという自覚はありました。放送されたのは1995年の10月からですが、制作中だったその年の初頭に阪神・淡路大震災とオウムの地下鉄サリン事件がありましたし、当時の若い人たちの感じていることや悩みをなんとか回収しようとしていたように思います。

―日本のアニメは手描きの美学があると思いますが、CGはどのように取り入れていますか。

 現在でも自動車や宇宙船などは3DCGが担当し、キャラクターは手描きのアニメーターが担当するというように、使い分けて制作していることが多いと思います。3DCGはメカニカルなものには合っていますが、キャラクターは少し堅苦しい感じになってしまいます。ディズニーなどと比べると、日本のアニメーションはまだまだそこは遅れています。
 世界でも評価されている日本の手描きアニメーションの表現技術は、試行錯誤と玉石混淆の長い積み重ねの上にかたちづくられていったものです。いずれ他とは違う日本独特の3DCGの表現をつくっていけると思っています。

―今後アニメにどのように関わっていきたいですか。

 幸いなことに、今もまだアニメ制作に関わっていればそれだけで楽しいので、役職にこだわりはありません。若い頃はお金がなかったし、歳をとってからは体力的に辛いということはありますが、絵を描いているうちは楽しいですからね。好きなことを仕事にできているからだと思います。
 ただ、仕事を始めてからはあまりインプットができていなくて、学生時代に見聞きしたアニメや漫画、小説の貯金だけで、食いつないできたようなところがあります。
 最近は、子どものおかげで低年齢層向けのアニメや少年漫画などに触れる機会が戻ってきました。一緒に見ていると、とうの昔に忘れてしまっていた純粋なリアクションに驚くこともあります。そういった感覚をもう一度取り戻して大切にしていきたいと思います。

―貴重なお話をいただきありがとうございました。
 いよいよ公開される『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』も楽しみにしています。

 

インタビュー: 2020年11月11日 akimichi designにて
聞き手:関本竜太・会田友朗・中澤克秀(『Bulletin』編集WG)

■鶴巻 和哉(つるまき かずや)プロフィール

アニメーション監督・アニメーター/株式会社カラー所属
1966年新潟県生まれ。スタジオジャイアンツにてアニメーターとしてデビューした後、ガイナックスに移籍。『新世紀エヴァンゲリオン』では副監督を務め、デザインや設定にも関わった。代表作に OVA『フリクリ』、『トップをねらえ2!』など。2006年、庵野秀明が設立した株式会社カラーに移籍。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズでは監督を務めつつ、画コンテ、デザインワークスも手掛ける。

他人の流儀 一覧へ