JIA Bulletin 2023秋号/覗いてみました他人の流儀
牟田都子 氏に聞く
著者を尊重して
一文字一文字ていねいに向き合う牟田都子
今回お話をうかがったのは、校正者の牟田都子さん。書籍や雑誌が出版される前に文章を読み、間違いがあったら指摘する“校正”を専門にされています。出版社の校閲部を経て、現在はフリーランスとして働いておられる牟田さんに、校正という仕事について、また仕事を通して考えておられることをうかがいました。
父が講談社の校閲部で働いていて、定年後の今も校正の仕事をしています。母も若い時同じ仕事をしていました。なので校正という仕事は知っていたのですが、当時は親と同じ仕事には就きたくなくて、20代は図書館で働いていました。20代後半で図書館を辞め、それからいくつか仕事をしましたがどれも長く続かなくて、30歳を目前にした時に、父親が「腕の良い校正者はどこの出版社も探しているから、ちゃんと覚えれば一生食べていける仕事だよ。やる気があるのなら働けるか聞いてやるぞ」と言ってくれて、それで父の紹介で講談社の校閲部で業務委託契約で働き始めました。
講談社には10年勤めました。その間に社外で知り合った編集者から仕事を頼まれるようになり、会社と両立するのが難しくなったこともあって、2018年にフリーランスになりました。今は何人かの編集者とお付き合いがあって、書籍1冊分のゲラ(校正刷り)をお預かりし、自宅で校正して納品するという働き方をしています。
出版される前のゲラを読んで、誤字脱字がないか、事実関係に間違いがないかチェックし、間違いがあった場合は書き込んで指摘します。「校正」は誤字脱字など文字を見ること、「校閲」は事実確認をすることと使い分けることもありますが、私はどちらの意味も含めて校正と言っています。校閲者と名乗っていても文字を見ないわけではありませんし、私も校正者と名乗っていますが、事実関係や固有名詞なども見るので、どちらも互いに含み合います。
私の場合は書籍1冊を1、2週間かけて校正します。読みながら辞書を引いたり、図書館から資料を借りてきたり、古書を買って確認することもあります。それからインターネットを使って固有名詞や数字が間違っていないか調べたり、小説の中での時系列やつじつまが合っているかということもチェックします。
それはゲラの性質にもよります。講談社時代に担当した文芸誌『群像』で、最初に渡されたのは大江健三郎のゲラでした。当時はもちろん、キャリアが15年の今でも迷いなく「ここは書き間違いではないでしょうか」などと聞けるかというとそんな自信はありません。それは権威におもねるのではなく、小説のように作品としての性質が強いゲラだと校正者が軽々しく疑問や指摘、提案をすることはできないからです。著者尊重・原稿尊重で校正者は黒子に徹します。
逆に、校正で読みやすくきれいに整えてほしいと依頼されることもあって、雑誌などの書いた人の名前が出ない原稿がそうです。なので同じ校正と言ってもすごくグラデーションがあります。
あとはゲラを最後まで読んで、その著者の傾向として、文法は正確ではない部分があるけれど、語り口やリズムに特徴があるので、その個性を尊重してあまり指摘や提案をしないほうがいいと判断することもあります。
やはり著者を尊重して、ゲラに書き込む時も敬意を払うということでしょうか。私は自分で本を読む時には文体などの好みがけっこうはっきりあります。でもそれは仕事では絶対に出しません。私を育ててくださった校閲部の皆さんがそうでしたし、たぶん皆さんも先輩からそうやって教わってきたのだと思います。
校正ってある意味重箱の隅をつついて人のミスを見つける仕事なんです。もちろん、何か質問したり提案する時には手に入る限りの資料を調べた上で聞きますが、所詮素人の一夜漬けに過ぎないので、もしかしたらとんでもない浅い読みをしているかもしれない、勘違いをしているかもしれないと思うと、ゲラに書き込むのはすごく勇気がいります。
でも人は絶対にミスをする生き物ですから、どんな著者も間違えることがあるのです。それを私たちのような専門家が見ることによって、単純なケアレスミスやヒューマンエラーに気付くことができますし、さらに、読者目線からの提案ができる場合もあるので、校正は大事な仕事だと思っています。
もちろん経験を積み、技術を身につければ一定のレベルの仕事ができると思います。でも誤植が光って見えるようなことは案外ない気がします。
むしろ、校正者である私たちにも必ず見落としがあって、どんなに気をつけて読んでいるつもりでも完璧な仕事なんてできません。だからこそコツコツと読んでいく工程を省くわけにはいかないのです。
私は、編集者から渡されたゲラをまず素読みといって一文字一文字鉛筆で追いながら見ていきます。たまに時間がないからざっと見てほしいと言う編集者がいますが、ていねいに見ても見落とすことがあるのだから、ざっと見て見つけられるわけがありません。ですから結局一文字一文字愚直に見ていくのが、回り道に見えるけれど正攻法で最短ルートなんです。もちろん文字以外にも、行頭が一字下がっているか、見出しの色、写真データが本番用かなど、さまざまな要素を確認し、固有名詞もチェックして、最後に読書のように通して読みます。
『文にあたる』という本も出版されていますね。
校正は表に出ることが少ない仕事なので、自分が始めた時にどういうことをする仕事なのかまったくわかりませんでした。だから後進のためにもと人前で校正について話す機会があれば引き受けていたら、物珍しさからかいろいろお声が掛かるようになりました。最近は、著者の方や同じ校正者同士など、本づくりに関わるさまざまな方とお話しすることが増えました。人と会って話すことで、新たな物事に興味が出たり、自分の仕事について改めて考えるきっかけにもなっています。
『文にあたる』も、校正という仕事を知ってもらい、校正の意義をまだ実感できていない人たちに少しでも理解してもらえればと思って執筆しました。
設計料も高いと思われてしまうことが多いです。
やはり皆さんの仕事内容が一般の方にはまだ見えにくく、知られていないからではないでしょうか。建物をつくるのにも本をつくるのにも多くの工程があり、たくさんの専門家が関わっています。その工程全体をわかってもらえたら、家を建てる時は建築家にお願いしたいな、本を出版する時は校正者に頼みたいなと思ってもらえると思います。
私は今キャリアが15年で、本を出したこともあって、若い人を雇ったり教えたりしないんですかと言われることがありますが、まず、人を雇えるほど儲かりません。校正の仕事がしたいという若い人がイベントに来てくださったり、お手紙をくださることもありますが、今の待遇で勧めていいだろうかという逡巡がすごくあって、悩みでもあります。校正料の相場が上がればいいのですが、今は出版社はどこもあまり景気がよくないので、すぐには難しいと思います。
それから、出版点数は増えていますが、校正者を入れてデザイナーも入れてという従来のやり方で本をつくる体力のある出版社は、果たして増えているのでしょうか。校正を入れずに本をつくる出版社が増えれば、校正者も、校正者になりたい人も、働く場を失います。
業界をいきなり大きく変えることは個人には難しいかもしれませんが、非力でも発信は続けていきたいし、自分はやはり信頼できる相手と納得のいくものをつくれるように力を尽くしたい。出版全体から見たら私たちの仕事は小さなものかもしれませんが、それだけは譲れないと思っています。
インタビュー:2023年6月15日 牟田さんご自宅にて
聞き手:関本竜太・佐久間達也・田口知子(『Bulletin』編集WG)
牟田都子(むた さとこ)プロフィール
校正者
1977年、東京都生まれ。図書館員を経て出版社の校閲部に勤務、2018年より個人で書籍の校正を行う。著書に『文にあたる』(亜紀書房)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』『本を贈る』ほか。朝日新聞で隔週水曜日に「牟田都子の落ち穂拾い」を連載中。