JIA Bulletin 2024年夏号/覗いてみました他人の流儀
久住有生 氏に聞く
自然の美しさを壁で表現する久住有生
今回は左官職人の久住有生さん。日本を代表する左官職人として国内外で活躍され、伝統建築物の修復・復元から、商業施設や住宅の内装まで幅広く手掛けています。久住さんが内装を担当された店舗を見せていただきながらお話をうかがいました。
子どもの頃は壁塗りの練習をしないとご飯を食べさせてもらえなくて、夏休みは弟と一緒に砂をひたすらふるいにかける作業を無理やりやらされていました。僕と弟はそれが嫌で嫌で何度も家出をしましたね。なので左官にだけはなるまい、自分のやりたいことを見つけないと左官職人にさせられると恐れていました。
高校生の時、小さい頃からお小遣いをためてケーキを買いに行くのが楽しみだったこともあってケーキ屋でバイトを始めました。父の手伝いをしてきたおかげか、意外とすぐにケーキが上手に作れるようになって、ケーキ屋になるための学校に行きたいと父親に話したんです。でも反対されて、「ヨーロッパを回って世界を見てこい」と言われて、高校3年の夏に1ヵ月半1人でヨーロッパの建物を見て回りました。その時にバルセロナでガウディのサグラダファミリアを初めて見て感動で震えたんです。こんなものを人間がつくれるのか、しかも100年も前からつくり続けている。そして世界中から大勢の人が見に来ていて、この引きつける力は何なのか。とにかく圧倒されました。こういうものがつくれるなら左官もありかなと初めて思いました。
ガウディを見た後は、ケーキ屋になりたい気持ちと半々くらいでした。父親に話したら「ケーキは食べたらなくなるけど左官は死んでも残るで」と言われて(笑)。今思えば子どもだましなんですけど、当時はガウディに感動したばかりだったので、純粋に「そうだな」と思えたんです。
高校を卒業してから半年間は父に仕事を習いました。習ったと言っても職人がたくさんいる中で掃除などをしていたくらいで、その後他の職人のところに2年間修業に行き、22歳で独立しました。
父親とは仲が悪いわけではありませんが、ほとんど一緒に仕事をしたことがありません。なので父からはあまり影響は受けていないと思っていたのですが、ある時、父と僕と弟で講演させていただく機会があって、あらかじめ話す内容を考えていたのに、その8割を父に先に喋られてしまって。やはり親子ですから好きなものも考え方も似ているのでしょうね。
僕は淡路島で育ちましたが、実家は父の趣味で茶室のようなつくりだったんです。冬はとても寒くて嫌でしたが、でも子どもの頃から空間としてはきれいだなと思っていました。小学校から帰ると縁側で母親が作ってくれたお菓子を食べながら庭を見るのも好きでした。だから幼い頃から完全に父にコーディネートされていたのでしょうね。
オーナーが文化的な方で、お花やお茶をたしなまれ、土壁も好きだったことから依頼していただきました。普段は壁一面を手掛けることが多いのですが、ここでは内装全体を自由にやらせてもらいました。僕は20代の頃は伝統的な文化財や数寄屋ばかり手掛けていたので、壁は主張するものではなく設えの中の背景という感覚だったのですが、都心にある店舗には作為的につくられた壁も合うので面白いです。
ヒビ割れた壁はこのお店のコンセプトを聞いてデザインさせていただきました。ヒビ割れの大小は土の厚さや練り方で収縮率を変えることでコントロールしています。黒っぽい壁には淡路島の土に墨を入れています。土は子どもの頃から触っているので、見ただけでどんな特徴があるかだいたい分かりますし、どんな土でも扱うことができます。この店では少し間違えるとクラックが入ったりして落ちてしまう、その紙一重のところを狙う仕上げが多かったので、慣れた淡路の土を使いました。
地方での仕事も多いですし、あちこちで仕事が動いていますが、全国に弟子がいるので要求される技術に応じて職人を集め、最後の仕上げで模様を付けたりする時は必ず僕が入っています。
ここでは樹脂は一切使っていません。今はすぐに樹脂を入れようとしますが、下地を塗ったらざらっとさせれば樹脂を使わなくてもちゃんと付きます。昔の職人は当然自然素材だけでつくってきましたから、当たり前のことをしているだけです。
やはり自然の素材がいちばんです。今は特に東京ではプラスターボードの上に仕上げることが多いのですが、左官の下地で一番良いのは竹です。土を分厚く塗る分難しくなりますが、仕上がりは明らかに良くなる。特に伝統的な仕上げは土を塗り重ねたものの方がいいですし、作業の全てが気持ちがいいです。
それから土を塗り重ねたものは、傷んだら一度剥がしてまた塗り直すことができます。実は一番勉強になるのは剥がす時なのです。昔の人がどのようにつくったのかが分かりますし、当時の感覚や技術、そして何より美意識の高さには何度も驚かされました。
実はそこが難しくて……。本当は模様もすべて思うようにつくることができますが、それだとエゴと作為が強すぎて自分でもちょっとなと思うので、材料に影響されるような状況をあえてつくっています。例えば大きな砂利が入っていると塗る時にガタガタして塗りづらかったり、削る時はそれが邪魔して思うように削れなかったり。
それから大勢で手掛ける時は仕上げのパターンを具体的に伝えるのではなく、自分が思うイメージだけ伝えてそれで個人個人で作業をします。そうすると人によって、体の大きさも腕の長さも違うので、その違いが出るのがそれこそ自然でいいじゃないですか。僕は人がつくるものもきれいだけど、やはり自然がいちばんきれいだと思うので、その中間のようなものがつくれたら嬉しいです。
塗る時は壁の前でじっと考えて取り掛かるのではなくて、いつも塗りながら雰囲気でつくっていきます。なのでいつも下絵はありません。どうせ下絵を描いても現場で変わってしまうので、サンプルはつくるけれどあとは信用してくださいと言ってやっています。本当に恵まれた仕事の仕方をさせていただいています。その場で色も変えられるし、表情も何とでもできるのが左官のいちばんの強みですね。
若い頃は壁しか見ていなくて、腕さえあればいいという典型的な職人でした。でも建築家の方たちに、海外でのプロジェクトに声を掛けていただいたり、街や人を見る面白さや、壁は建築の中にあってそれも自然の中にあるというようなことを教えてもらいました。つくるものってどうしてもエゴの塊になってしまう面があるけれど、でもその上で何が大事なのかということを勉強させてもらっています。
一人でできるものなんて所詮知れていますし、建築家やデザイナーと一緒にやると共鳴して思いもよらないものができることも多いです。
最初がガウディ始まりですし、もともとバロックやロココのレリーフが好きだったので、デザインしてつくるのは割と好きなんです。テーマはやはり自然です。淡路島に帰った時にきれいだなと感じる自然を壁で表現できたらいいなと思っています。ウルトラマリンブルーの顔料は淡路の海のイメージに近くてきれいなので好んで使っています。
額装している作品は、建築の左官とは違ってすべて自分でできますし、周りのことを考えなくていい自由さがあるので、時間がある時にはまたつくりたいです。
やはり急激に進歩したのはこの20年ぐらいで、海外の材料を輸入するようになってからかもしれません。淡路島でも、僕が独立して間もない頃は家を2、3年かけて建てていました。22歳の時には弟子が7人いましたが、2件仕事があれば全員食べることができました。それくらい左官の仕事量があったんです。でも新建材が出てから左官はほぼ下地屋さんになってしまいました。今はまた左官が選ばれることが増えているのでよかったです。
ただ心配なのは、内装は簡単に塗り替えられるものか、強くて壊れにくいものをよしとする考えが一般的になってしまっていることです。その考え方が自然や人がつくった良いものからはほど遠くなってしまったと感じています。日本の景観や文化など、これまで時間をかけてつくってきた大事なものがなくなってしまいそうな気もして、僕は今事務所も住まいも東京なのですが積極的に地元淡路のアトリエに帰るようにしています。そうしないと自分がどんどん便利さに引っ張られて、一番大事な守らなければならない部分を犠牲にしてしまうのではないかと思って……。とくに建築は人が生活する場所なので、そこの文化レベルの高さは絶対死守したいと思っています。
左官の立場からそこに働きかけたいのですが、そのためには職人が足りないので、左官の仕事をもっと見せて、その良さを知ってもらわなくてはいけないですね。そうして職人が少しずつ増えていってほしいです。
10年以上経った子はもう何でもできますし、どこの現場でも対応できます。5年ぐらいで独立した子もそこから自分なりに経験を重ねて頑張っています。みんな腕がいいのはもちろんですが、所作がきちんと身についています。それができないとなかなか良い仕事はできませんから、そこは自信を持って言えます。
弟子たちには、左官の仕上げ方などの技術というよりも、精神というか、良いものをつくるためにはどうしたらいいかということを伝えています。つくっても気持ちが入っていないと単なる物質でしかありません。そういうことをみんな分かって仕事をしているはずです。
言葉で伝えます。1回言ってできなかったからほったらかしではなくて、毎回言います。今日も朝現場に寄ってきたのですが、お客さんが住んでいる現場だったので、「スリッパは用意してくれるけれど、自分たちで新しいのを持っていこう」と言いました。「養生した上を歩いたら、外に出る時は汚れが出ないように違うスリッパを履く」「家具を移動させる時は新しい手袋を使う」「帰る時は何もなかったようにきれいに掃除して帰る」、そういう些細なことばかりです。もちろんみんな分かっていますが、それでも毎日話します。
慣れないことですね。仕上げが変わっても基本的には毎日同じ作業するので、誰でも慣れてしまう恐れがあります。職人に毎日同じことを言っているのもそのためです。知っていると思うけれど、分かっていると思うけれど、それでも毎日同じことを細かいことまで全部言う。
慣れてきて手を抜いたとしても一般の方には見た目は分からないかもしれません。でも左官はその姿勢次第なんです。だから僕もずっと現場に立ち続けているし、必ず仕上げには入るようにしているのもそのためです。誰かが一瞬でも気を抜いたらやっぱり僕らが見たら分かるんです。それは器用不器用とは違いますから。
職人は朝起きて毎日毎日同じことを繰り返しているから上手になる、そしてきれいなものがつくれる、それだけでいいんです。これからもきれいな仕事をするために、慣れないように慣れないようにと言い続けていきます。
インタビュー:2024年2月5日 日本焼肉はせ川別亭 銀座店にて
聞き手:小倉直幸・関本竜太・中澤克秀(『Bulletin』編集WG)
久住有生(くすみ なおき)プロフィール
左官職人
1972年、兵庫県淡路島出身。祖父の代から続く左官の家に生まれ、3歳で鏝を握る。修業期間を経て、23歳で独立。伝統建築の修復、復元、商業施設、教育関連施設、個人邸まで幅広く手がける日本を代表する左官職人。2016年に日本国連加盟60周年記念インスタレーションをNY国連本部で発表。2023年にはG7広島サミットの会場施工を担当するなど国内外で活躍。自然との調和を常に大切に表現し、個展では額装によるアート表現にも取り組んでいる。