安重根(アンジュングン)と伊藤博文(イトウヒロブミ)、これほど日韓で評価の落差が大きい歴史上の人物はいない。日本では伊藤博文は、明治の最大の功労者とみられ、つい最近まで紙幣にもその肖像が刷り込まれていた。安重根は、その伊藤博文を1909年にハルビン駅頭で暗殺した犯人として日本の教科書には出ている。他方韓国では、伊藤博文は日帝植民地支配の頭目という大悪人、安重根はそれを暗殺した民族の英雄である。
朝鮮後期から近代化が始まった韓国だが、それは同時に列強の侵略を受けることにもなった。日清戦争(1894年)以後、義兵戦争とともに啓蒙運動が救国運動として韓国各地で展開された運動を日本帝国主義は機会がある度に弾圧し、各種不平等条約を強要し、1910年には韓国を強制に併合した。それに加え、経済的収奪と独立運動に対する非人道的な弾圧を行い、結局、韓国民族を抹殺しようとした。このような日本帝国主義の侵略と蛮行の実状を安重根と伊藤博文の二人の行動、言動、活動をモチーフに本記念館は展開する。そのあと独立運動家と日本侵略期の大韓民国(1910〜1945)、両国の近代化(1945〜1990)、両国の現代そして未来(2000〜以降)と大きく4つのゾーンにより構成される。
一方ここ数年において日本では韓国に関心を持つ人々が急増している。これは2002年日韓共催ワールドカップや、キムチ・焼き肉・エステ旅行など、様々なジャンルにおいて韓国が身近になってきた証拠に他ならない。しかし韓国は料理が美味く格安旅行が楽しめる、ただそれだけの隣国ではない。上記のようにほとんど知られてない過去を知り、根本からお互い理解し、深く対話することが両国のより良い未来にとって最重要だと考え、日韓歴史記念館を計画する。
まず敷地は、(i)日本の首都である東京都心、(ii)東京都心の中でも歴史が深い土地、(iii)穏やかな自然が身近に感じられる環境、という3点から熟考した結果、日比谷公園を本記念館の敷地として選定した。
計画にあたっては、既存の記念館より立ち寄りやすく分かりやすい空間構成とするために、両国の歴史そのものを建物内・外観のモチーフとし軽やかな形態を与えた。また日比谷公園という都内でも屈指の自然環境を散策しながら自然と歴史の体験ができるよう配慮して計画した。そして観覧した人々が、記念館で感じた様々な想いを気軽に対話でき、両国の人々が親交を深められる空間を目指した。
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