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利便性から環境優先へ
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昨年の都市デザイン部会に参加し,現在の日本の抱えている都市と建築の様々な問題を考えさせられました。特に,茅野と銀座は印象深いものでした。
茅野で見たものは,全国で起こっている中心市街地活性化の問題でした。茅野駅前は,シャッターの閉まった店が多く見られ,人通りの少ない閑散とした街並みになっていました。駅から少し散策すると,寒天倉庫もあれば,造り酒屋,味噌屋といった古くからの店や建築がひっそりと佇んでいます。一方,諏訪インター近くの量販店は対比的なにぎわいで,車と人であふれていました。幹線道路沿いは,どこにでもあるロードサイド店舗が建ち並び,東京近郊の国道とよく似た光景が続いています。これから旧市街はいったいどうなるのでしょうか。話では聞いたことのあるものの改めて中心市街地の問題の深刻さに愕然としました。我々は利便性を追い求め,車で移動しロードサイドで買物や飲食を済ましてしまうことが多くはないでしょうか。しかし,高齢になり車が運転できなくなったらどうするのでしょうか。その時はあきらめてどこかの施設で暮らすのでしょうか。このままで
は,旧市街が朽ちるだけでなく,貴重な観光資源でもある山並みや田園の風景もすっかりなくなってしまいそうです。何が豊かなのだろうか考えさせられます。ただ近いうちに,機能的な利便性でなく環境という観点から判断を下す時がくるのではと思います。少なくともガソリンで走る自動車が減り,地球温暖化防止からむやみやたらに開発ができなくなるような気がします。その時になって,やっとこの中心市街地の問題が解決し,風景が戻ってくるのでしょうか。
一方,昨年のアーキテクツガーデンでの銀座の街歩きで,歴史の保存と活用について考えさせられました。銀座には橋の名のつく交差点が多数あります。堀や橋があった昔,銀座中央通りの終端の汐留には新橋ステーションがありました。東京の終着だった新橋ステーションを降りると日本橋に向け,銀座中央通りが延びていたとのことです。ヨーロッパの美しい都市と同様のベースがすでに銀座にあったのです。しかしすでに掘割は埋められ,
橋も名ばかりとなった今,地図で見ると,東海道線が新橋から銀座を迂回して円弧を描いているだけとなってしまいました。そしてさらに,数々の歴史的建造物が,今,姿を消しつつあります。先日も近代建築の旧トクダビル(設計土浦亀城)が姿を消してしまいました。それらは終着駅や掘割が機能的な利便性から判断され消えていったと同様に,機能から判断され取り壊されています。そろそろ環境という軸で都市や建築を考える社会にしたいものです。そのためには,この「都市デザイン」で先輩諸氏が語られた「都市は市民全体のもの」(近藤泰夫・2000.9),「再び都市へ」(河野進・2000.5)のような一歩踏み込んだルールつくりが必要なのかもしれません。
話は変わりますが,週末,渡良瀬遊水池(栃木県小山市,茨城県古河市,群馬,埼玉の県境)周辺で熱気球でフライトすると,20年前の風景とすっかり変わりつつあるのに気が付きます。茅野と同様に何もなかった水田の中に新たな道路がつくられ,高い電柱が立ち並び,そしてロードサイド店舗が並んでいきます。上空から見る日本の風景は,どんどん画一化し,どこでも同じような状況になっています。確かに道路はよくなりお店もできて利便性が高まりましたが,果たしてこの変化がすべてのところで進んでしまってほんとうに我々を幸せにしてくれるのか,じっくり考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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