日建ハウジングシステム 渋田一彦
佐田岬は豊後水道に突き出した細長い半島で,両側は切り立った崖,そして尾根の部分によく整備された道路が走っている。名取集落はその先端に近い東向き斜面の中腹にへばりつくように佇んでいた。江戸初期,領主の移封により仙台名取から移住した人々がルーツで,峰,岡,里という三つの地区からなる。JIA四国大会の折に都市デザイン部会のメンバーとともに訪ねてみた。メンバーの一人鈴木稔氏は仙台名取中学校出身ということで一方ならぬ思いを抱いているように見えた。稜線から左に下りていくと石積みの上に雛壇状に家々が重なっているのが見えてくる。近づくとほぼ等高線に沿った3〜4尺幅のゆるい坂道とそれに直角の石積みの階段とで移動のネットワークが組み込まれているのがわかった。まるでスキップ廊下形式の集合住宅のようだ。もちろん整然と交差しているのではない。人が通れるだけの幅の道が地形に合わせ家々の隙間を曲がりくねって続いている。石は鉄平石のような薄い平割りのものだ。わずかに登り勾配のスロープの左側は下の家の屋根,右側は石積みの上に外壁が続き,そこここに階段が現れる。すべての家から海を眺めることができるわけだ。宇和海を見張るために作られた集落たるゆえんである。奥に進むにつれ集落の広がりが大きくなり,驚いたことにちょっと開けたところがあるとわずかな平地にも畑が作られている。車が入ることのできるのはわれわれが乗り入れた漁港に通ずる下り坂だけでその幅はすれ違うゆとりもない。V字型にクランクした坂の終点に魚港(と言っても小船が何隻か泊められるコンクリートの突堤があるだけ)があった。薪を背負った老女が坂を登って来る。LPGボンベを運び入れる道が無いのだから煮炊きは薪に頼らざるを得ないのかもしれない。このあたりは愛媛県の中でも過疎化と高齢化が大きな問題になっているのだ。 さて一極集中となった都心部に超高層マンションが相次いで建設されている。工場跡地や企業の諸施設の統廃合による大型の土地が供給される一方で,建設コスト,販売価格の低下,海外企業進出による高級賃貸需要の増加,低金利や税制優遇といった追い風が拍車をかけ,身近になった都心居住が頻繁に画面,紙面を賑わせている。1棟あたりの住戸数は階数増とともに増え,かつて2〜300戸だったのが500戸,600戸を超えるものまで現れ始めた。都市景観やサステイナビリティーの追求は当然として,名取集落の世帯数を超える高密度居住の世界ではどういった問題が起きるのか,グルーピングによってコミュニティーを分化するだけでいいのか,どのようにそれらに対処した設計をし,あるいはソフトを用意していけばよいのか,考える必要を感じている。
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