Nihonbashi Surfin’
- 氏名
- 石塚 悠馬
- 所属
- 慶應義塾大学大学院
政策・メディア研究科 政策・メディア専攻 - 研究室
- 小林博人研究室
作品概要
東京都中央区にある日本橋は、かつては魚河岸として、川を中心とした生活が営まれていた。しかし、1923年の関東大震災後に魚河岸は築地に移動したことで、人々の生活は川から徐々に離れていった。さらに、地下鉄の開通により地上から歩行者は減少し、1964年のオリンピックの際に建設された日本橋上空にかかる高速道路は川を塞ぐ形で、川は街の裏の存在へと変わってしまった。
日本橋の川を覆う高速道路によって裏の存在となっていた川を、小さな商店が連なる室町小路から、賑わいを川に引き込むことで、表の存在へと変える。また、高速道路を地下化し、東京駅からアクセスできる歩行者空間とし、川と高速道路を日本橋の新たな玄関として位置づける都市デザインを提案する。
これまで日本橋上空を横断する首都高速道路は異質なものとしてまちとは乖離していたが、地上からのスロープによってシームレスに繋げることで一体となり、人々は高速道路からまち、まちから高速道路に導かれる。オープンスペースを建築の上部に置くことで、グラウンドレベルでは商店の連続性を保ちつつ、上部のオープンスペースでは日本橋に新たなアクティビティの場が生まれる。また、さまざまな異なる曲面から生まれるギャップから商店が見え、シークエンスによって人々は自然と歩きたくなる空間とした。日本橋の特徴であった高速道路は、人々に使われまちにとけ込み、新たなシンボルとして生まれ変わる。