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UIA 大会開催までの11 年間の歩み |
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UIA2011 Tokyo日本組織委員会広報部会長:国広 ジョージ | |
JIA会員の念願であった「UIA2011Tokyo」第24回世界建築会議の開催まで、あと約4ヶ月を残すこととなりました。 私たちは1999年の北京大会で、世界建築会議を日本へ誘致しようと一丸となり、東海支部先導で名古屋市が立候補しました。しかし、無念な結果となり、誘致が失敗に終わったことを覚えている会員の方々も多々おられるでしょう。その後、前川国男先生を含む諸先輩たちの意志を遂行すべく、2002年、今度は関東甲信越支部が立ちあがり、東京都の立候補が実現しました。 私はこのべルリン大会から誘致活動に参加し、UIA大会実現への道をみなさんと一緒に歩み始めました。思い出に残るのは、ベルリンにあるソニービルの最上階ホールで、樽酒と寿司を持ち込んで開催した大パーティーが、大盛況だったことです。槇文彦先生はワインを楽しまれながら壇上で激励のご挨拶をされ、私は壇上で騒ぎながらも、ホールいっぱいに集まった世界の建築家の方々を必死で盛り上げました。 この年の開催地決定の投票は今日のような電子投票システムを導入しておらず、数々の接戦選挙投票の末、予定を上回る大幅な時間を必要とせざるを得ない悲惨な状況で、4都市の最終投票が始まりました。最初は優勢であった日本は、当初予想されていなかった都市の参入により過半数を取れず、最後には時計が真夜中を回り、支持者も退席してしまうという最悪の状態が生じてしまったのです。結局、この年の東京誘致も失敗に終わりました。 2度の失敗を経験したJIAでは、2005年のUIA大会への立候補について議論を繰り返し、開催都市・東京が再び立候補することになったのです。7月に入り、私たち誘致委員会一行は「3度目の正直」などとゲンを担ぎながらイスタンブール入りし、現地での誘致活動を行いました。私は役目となった「盛り上げ屋」として、パーティーのナビゲーターを担当し、また、総会では岩村和夫さんと共に壇上に上がり、誘致のプレゼンテーションを実施しました。 結果は17票という僅差でしたが、とうとう2011年UIA東京大会の開催が決定したのです。日本で初めて、アジアでは北京大会以来2度目の開催となるこの2011年大会の実現まで、じつに11年の歳月が流れました。 しかし、2011年3月11日、午後2時46分、日本の将来の行方を完全に変えた出来事が起こりました。長く、激しい震動、そして、悪魔に呼び起こされたように大手を広げて上陸し、すべてをさらっていってしまった太平洋の津波。 21世紀に入って一日も怠ることなく継続して準備を進めてきたUIA大会は、日本開催の企画構想を、東日本大震災という災害を機に、大会自体の位置付けさえ大きく変わってしまったのです。そして、この日本の現状を世界と共有し、災害と復興について、おおいに議論できる建築家の祭典として注目される場となりました。 JIA会員全員、特に我が関東甲信越支部の建築家の念願だった大会開催の意義が倍増することになろうとは、11年前のJIAでは誰が予想したことでしょう? さあ、もう一息で頂上です。進みましょう。 「災害を乗り越え、一丸となって、新しい未来へ!」 |
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