UIA2011 東京大会までの道のり

過去大会出席者のひと言


 
トリノ2008
 

上垣内 伸一

 
私が参加したのは直前大会であるUIA2008 トリノ大会でした。当時トリノは新しく始まったワールド・デザイン・キャピタルの最初の開催都市でもあったために、その相乗効果もあって街中がデザインイベント一色となっており、UIA 大会会場内外で活発な人の動きがあったと思います。市中の観光スポットや展示スペースで、大会登録証をぶら下げた各国の見ず知らずの建築家が遭遇して仲良くなる光景に出くわすたびに、同じ目的で集まる世界大会ならではの面白さを実感しました。 2008トリノ
 

上浪 寛

 
私は2005年イスタンブール、2008年トリノ大会に参加しました。イスタンブールでは総会へオブザーバー参加し、最終日には2011年東京大会決定の瞬間を市内で聞き、皆で祝いました。5泊6日をイスタンブールのみで過ごし、アジア、ヨーロッパの狭間の都市を満喫しました。トリノではジャパンハウスとして企画した街中の旧王宮施設のセットアップに立ち会い、大会期間中はセミナーや展示を見て歩き、9,000余人の大会参加者のボリュームを肌に感じて楽しんできました。 2008トリノ
 
 
イスタンブール2005
 

中山 信二

 
2005年7月の東京は何時もの暑い夏だった。成田空港から約12時間かけて我々関東甲信越支部のUIA大会ツアー一行は、当時の伊平副支部長を団長としてイスタンブールに飛んだ。空から見るイスタンブールの街は、ローマと同じ幾つもの丘の集合体からなる。光と風が実に爽やかな街だ。北国生まれの小生も思わず唸るほどのビールが美味い。一行は約25名。オリエント急行で著名なアガサクリスティの常宿であったペラパレスホテルに着く。上浪現支部長と一緒の東南の角部屋に巡り合い、毎朝窓を開けてバルコニーからの眺望を楽しんだ。街並みウォッチングはブルーモスク等の歴史的建造物巡りが多かったが、現地の設計事務所を飛び入りで見学できて交流できたことはラッキーだった。最大の収穫は、200人乗りのクルーズ船を貸し切って25名の一行がボスポラス海峡に乗り出したことだ。格安ツアーにも関わらずミスマッチの望外の楽しい思い出となる。屋根付きデッキの上で、フリードリンクのワインを片手に両岸のシーサイドハウスと行きかう船舶をゆっくり半日眺めて過ごす。これが桃源郷でなくて何だろう。翌日には投票の結果東京大会も決定しJIA活動に参加していることの意義をしみじみ感じたツアーであった。 イスタンブール2005
 

遠藤 勝勧

 
2005年7月6日から12日まで、UIAイスタンブール大会に当時関東甲信越支部長、伊平則夫さん以下総勢32 名で東京大会誘致のお願いに出かけました。「結果は大満足」宿泊した所は、アガサクリスティが、有名なオリエンタル急行殺人事件の原稿を書いた、HOTEL・PERAPALAS。ホテルに着いて大騒ぎ、バスは水漏れ、シャワーは水が出ず、修理の為一晩中工事の騒音、お陰で全員寝不足、そのまま大会に出席、その事が成功した理由ではと今は懐かしく思っています。(*このスケッチはホテルに、レターペーパーが無く仕方なくホテルの封筒を裂いて描いたものです。) イスタンブール2005
 

久間 常生

 
UIA大会ではパーティやエクスカーションで世界中の建築家と交流し、開催国のまちや建築に接し見聞を広められます。ベルリン大会では厳しい警戒の中、日本大使館での東京大会誘致パーティは緊張ある体験でした。イスタンブール大会では東京大会決定の感動的現場にのぞみ、トリノ大会では東京開催に向けて楽しい交流ができました。
建築界もパラダイムの変換が迫られる厳しい現況ですが、我が国のまち・建築の魅力を参加の内外の方々に紹介し、もてなしの精神で様々な共有が得られればと思います。
イスタンブール2005
 

西勝 郁郎

 
私のUIA参加は「サスティナビリティー」の概念がその後世界的テーマとなった1993年開催のシカゴ大会が最初でした。ここ数回のUIA大会にも参加して、開催国の文化や歴史や国民性を直接肌で感じられる喜びと、世界中の建築家が大小のテーマセッション毎に継続した会議を行っている事など驚きと魅力でいっぱいでした。前回トリノ大会では、王宮の馬小屋跡(カバレリッツア)を会場に日本の独自企画として建築家展を開催するなど、参加すればするほど楽しさは倍増です。しかも今大会はホスト国です。あなたの参加が世界を変えます。 イスタンブール2005
 

立石 博巳

 
JIA関東甲信越支部のメインツアーグループで、大会レセプションの前日、ヒルトンホテル前のクラブホール「キャラバンサライ」に出掛けました。各国の観客300人、有名ダンサーの華麗な演技を中心に観客参加の舞台イベントで、遠藤勝勧夫人とソーラン節を歌い、再度登壇下手な英語でJIAの紹介と自己紹介、歌舞伎スピーキング(声色)を披露し、ヤンヤの喝采を受けて大変楽しい思いをいたしましたが、TOKYOに決まらなかったらどうしょう?私のセイ?心配しましたよ!!